日本テレビは「原作代理人である小学館を通じて原作者である芦原さんのご意見をいただきなら脚本制作作業の話し合いを重ね最終的に許諾をいただけた脚本を決定原稿とし、放送しております。本作品の制作にご尽力いただいた芦原さんには感謝しております」とコメント、要約すると「え、ちゃんと原作者の許可はとりましたけど?」と我々は悪くないとばかりのコメントを発表したのでした。
この“許諾”というのが、ちょっとクセモノだと思うのです。ドラマの制作側は許諾されたと思っているが、原作者はそう思っていないということは多々あるのではないでしょうか。
実際、日本テレビは2008年にきくち正太氏の「おせん」(講談社)をドラマ化しますが、きくち氏は出来上がったドラマを見て精神的なショックを受け、一時休載したことがありました。きくち氏は自分の作品をわが子のように思っていたそうですが、「わが子を嫁に出して幸せになれると思っていたら、それが実は身売りだった」とコラムに約束が違った、作品を大事に扱ってもらえなかったことをほのめかしています。
ドラマ化をOKしてもらいさえすれば、こっちのもん!
原作とドラマでは内容が違うということはよくありますが、ある程度は仕方ない部分もあるのではないかと思います。ドラマを作るための時間や予算には限りがあるでしょうし、俳優のスケジュールの調整がつかなければ、筋書きを多少変更しなくてはならないことが生じるかもしれない。けれど、こういう時、適切なタイミングで原作者にきちんと説明できれば、おそらく理解してくれるはずです。けれど、「ドラマってそういうもんなんで」「上がそう言ってるので」「もう時間がないので」というふうに自分たちの論理を押し付けたり、「こういうふうに変更になりました」と事後報告して、原作者側はなすすべもないことを“許諾”と捉えていたという可能性も否定できないのではないでしょうか。「庇を貸して母屋を取られる」という諺がありますが、「ドラマ化をOKしてもらいさえすれば、こっちのもん!」という気持ちが制作側のどこかにあり、だから原作から大きく逸脱したキャラやシーンを平気で作ってしまう“やったもん勝ち”が後を絶たないのだと思うのです。
上記が悪意的な解釈ではあることは認めます。けれど、こう思ってしまうのには理由があるのです。‘23年9月30日配信の拙稿「価値観が透けて見える ジャニーズ問題にまつわるヤバ発言トップ3は、日テレ、志らく、中村仁美」内で触れていますが、旧ジャニーズ事務所が性加害を認めた際、日本テレビの社長が事務所に社名変更を求めていて、私は口をあんぐりさせたのでした。企業が不祥事を起こすことは時々ありますが、だからといって、取引先が「社名を変えろ」と要求するってアリなんでしょうか。テレビ局が社名変更を求めることは私には越権行為のように思えますが、なぜそのようなことが言えてしまうのかと言うと「オレたちがテレビに出してやっているのだから、オレたちの言うことを聞くべきだ」と、取引先を属国扱いしている意識の表れではないでしょうか。