もしここで相沢氏が「SNSで芦原先生を侮辱したこと」のみについて謝ったとしても、ネット民は拡大解釈して「ほら、やっぱり脚本家がヤバかったんだ、すべては脚本家が悪かったんだ!」と猛バッシングすることは目に見えています。売れっ子とはいえ、相沢氏はフリーランスですから、弱い立場です。本当のことを知られるとまずい人達にとっては、「脚本家が暴走して、原作をぶっ壊した」とすべての責任を相沢氏になすりつけて、とかげのしっぽ切りできたら好都合でしょう。そうならないための自衛が「簡単に謝らない」ことで、これはフリーランスでないとわからない感覚かもしれません。
相沢氏は「言われたとおり、ちゃんとやった」
相沢氏と言えば、漫画をドラマ化する際に筋書きを大きく変えることから、彼女を原作クラッシャーと呼ぶ人もいるようです。しかし、これも大きな誤解と言えると思います。クリエイターは自分の思ったとおり、自由に創作していいんだと思っている人もいるかもしれませんが、プロデューサーの方針や許可の下に創作するわけです。原作がぶっこわされたように見えたとしたら、それはプロデューサーがそれでいい、もしくはそれがいいと判断したというわけで、相沢氏は「言われたとおり、ちゃんとやった」と言えるのでは、ないでしょうか。
「セクシー田中さん」の版元である小学館は会社としてのコメントを避けていますが、現場の編集者たちは、プチコミック公式サイト内で「第一コミック局編集者一同」として、コメントを発表しています。引用を含めてまとめると、以下の二点になると思います。
・メディア担当者と編集者がテレビ局の意向を伝えて、出来上がったのはドラマ版『セクシー田中さん』である
・「著作者人格権」という、著者が持つ絶対的な権利について周知徹底し、著者の意向は必ず尊重され、意見を言うことは当然のことであるという認識を広げることが、再発防止において核となる
芦原先生はドラマ化に対し、いくつかの条件を提示していましたが、これはワガママではなく、著者として当然の行為であることであるとして芦原先生の名誉を守り、編集者たちもきちんとやるべきことをしたという主張だと私は理解しました。
それでは、脚本家も出版社も「ちゃんとやった」のに、どうしてこんなことになってしまうのでしょうか。脚本家に指示を出せる立場であり、出版社とやりとりをし、かつドラマの最高責任者であるプロデューサーは何らかコメントを出してしかるべきと思いますが、おそらくこのままだんまりを決め込んで、人の記憶が薄れるのを待っているのではないでしょうか。
現場で仕事をしていた相沢氏や小学館編集者のコメントを読んで、私はこの問題は今後も起きる可能性がある。そして、今後追い詰められるのは原作者だけでなく、編集者である可能性もあるなと私は思いました。なぜなら、性善説に頼りすぎているというか、「話が違う」時に対する備えがないからです。