時はたち数週間後、週刊女性が発売された。「山暮らし! 半自給自足!」その生活様式が奇異に映った読者が多かったらしく、いろいろな媒体から取材の依頼がバンバカ来た。しかし、私は生活を送っているだけで、そんなに語りたいこともない。山のことだってまだまだ半人前。映画や舞台の宣伝以外での取材は断り、畑仕事や狩猟や山登りに汗を流した。
建設中の小屋は骨組みを終え、窓枠を入れ、屋根の工事に取りかかった。「こういうの得意なんで!」とドヤ顔で工具袋を腰からぶら下げたナベちゃんと屋根に上り、N記者が下から持ち上げるトタン板を受け取ってはビシバシと釘で張り付けた。
夕方になると皆で温泉につかり、夜は皆で同じ鍋をつつき、酒を酌み交わす。ナベちゃんに「人をあまり信じすぎないほうがいいですよ」と忠告されたこともあった。「おまえが言うか!」と口では笑ったが、その後押し黙って考えた。
そしてもっとマシな反論も思いついた。「最初っから人を信用しなかったら、私とあなたはここまで仲良くなれなかったよ」いい年したオッサンが吐く言葉にしてはあまりにもキツすぎる。やはり杯を口元に運び、誤魔化した。
週刊誌報道は「なくならない」
このたび、原稿を書くにあたって、編集部から質問が来た。「週刊誌についてどう思うか?」人の闇を暴く週刊誌報道は、これからもなくならないだろう。それがたとえ「正義の光」でも「部数を稼ぐための嘘」でも、勧善懲悪が好きな大衆は熱狂する。
これはイイモンがワルモンを倒す水戸黄門や桃太郎が根強い人気を集めるこの国では仕方のないことだと思う。いや、世界中そうなのかもしれない。
しかし、物事は世で取り沙汰される情報より多面的である。なぜ悪代官が悪いとわかっていながら小判を受け取るほどに卑しくなってしまったのか、なぜ鬼は人間に殺意を覚えさせるほどの迷惑をかけるに至ったのか、そこまではなかなか考えられない。
もしかしたら悪代官は子どものころから金銭的に恵まれない家庭生活を送り、病弱で最愛の両親を「金さえあれば病魔から救えたのに」と感じた幼少期の記憶があったのかもしれない。鬼も人間に迫害され、農作物の実る土地を追われ、乳飲み子を食べさせる術が略奪するよりほかになかったのかもしれない。
ドラマは1時間で、絵本は1冊で終わる。報道も一瞬である。しかし、それぞれの人生は続く。私も週刊誌の記者に対して、以前抱いていた悪感情があった。「人の家庭を好き勝手書いてブチ壊して得た給料で、子どもの運動会の弁当作って家族団欒過ごすのか」と。
ナベちゃんと出会って、彼の人となりを知った。カメラマンになる前、学生のころから写真大好き青年だった。今でも写真が好きで、仕留めた鹿の写真を撮っていた彼は活き活き。帰宅する前には、奥さんにお土産を持って帰るために、何が旬かを熱心に聞いてくる。この冬、女の子のお父さんになった。目尻を下げて、我が子の話をする。
私が知っているナベちゃんもすべてではない。ナベちゃんも私のすべては知らない。それはそうである。昨日は何回排泄をし、先週は何回自慰行為をし、今までどれだけの人と身体を重ねてきたか、知りたいとも思わないし、知るべきではないと思う。
しかし私は、ナベちゃんが好きだ。一緒に過ごした時間の中での印象でそう思う。そして彼の撮った、私の日常を切り取った写真も好きだ。隠し撮りでは撮れない、お互いの関係性が反映された写真になっている。良い写真だ。そしてここに写る、共に過ごした時間も、私は好きだ。
仕事も、人のつながりも、数多の奇妙な巡り合わせから発展する。人間も、多面性を考えればいくつも顔がある。きっと今後もナベちゃんに「その仕事いつか辞めるの?」と聞くかもしれない。「子ども生まれたし、金稼がないと」と言われるかもしれない。しかし私は「絶対に辞めるべき」とは言えない。ナベちゃんのすべてを知っているわけではないから、人様に「絶対こうであるべき」とはいくら友人でも言えない。しかし、友人だからこそ「そんなもんかねぇ」と言外に感情を滲ませ、また横でタバコの煙を呑み込むだろう。
東出昌大 1988年生まれ。山での狩猟生活を映し出すドキュメンタリー映画『WILL』が2月16日より公開中。3月2日からYouTubeチャンネル「東出昌大」スタート。毎週土日19時配信。(https://www.youtube.com/@higashide.masahiro)