友人でもある社会学者の古市憲寿との対談で明かした、生い立ちから芸能界、死生観までを綴った書籍『本音』を著した小倉智昭。現在、3度目のがんと闘病中。死と向き合ったことで、終活も始めた。そんな彼がキャスターとしてのこだわり、そして「離れて暮らすとお互いに優しくなれる」という妻との生活について“本音”で語ってくれた。
昔のテレビにあった“間”がなくなった
「言いたいことが言えない世の中になりましたよね」
と、フリーアナウンサーの小倉智昭は嘆く。フジテレビの朝のワイドショー『情報プレゼンター とくダネ!』で22年にわたって総合司会を務めてきた小倉は、言いたいことを言い続けてきた人である。
1999年に同番組の司会を引き受けたときも、譲れない条件があった。
「オープニングで1分でも2分でもいいから自分の言葉でしゃべらせてほしい、と。当時のワイドショーは番組のド頭から事件や事故のVTRを流すのが日常で、現場の血だまりだとか、手錠をかけて引き回される容疑者だとか、生々しい映像を流せば視聴率が取れていたんです。
僕はそういうのがもうイヤで、えげつないVTRを長々と見せてから、“おはようございます”って司会者が登場するのはやめようって言ったんですよ」
こうして始まった小倉のオープニングトークは、時に10分近くにも及び、番組の名物に。視聴率でも他局を圧倒し、『とくダネ!』はワイドショーの新境地を切り開いた。だが、伝えたいことが伝えにくい局面も増えたと小倉は述べる。
「これを言ったら叩かれるなと思いながらしゃべると、案の定、番組のデスクの電話が鳴りっぱなしになって、SNSで炎上しましたよね。言葉にしても、例えば魚屋や床屋はダメ。鮮魚店、理髪店って言わないといけない。そういう点では不自由になりましたし、昔のテレビにあった“間”がなくなっちゃいましたよね」
かつてのテレビが伝える情報には、出演者や視聴者が思いを巡らせる“間”があった。ところが、VTRが多用されるにつれ、その“間”がなくなったと小倉は言う。
「森繁久彌さんに最後にインタビューをしたのは僕だったんですけれども、話の途中で森繁さんが黙り込んでね。何かを考えている表情を注視していたら、突然、“しれぇーとこぉーのぉ”って『知床旅情』を歌い出したんです。そのときの“間”には大事な意味があるのに、VTRを編集する若いディレクターは時間がもったいないからってつまむ(カットする)んです。
僕は番組の編集にまで介入はしませんけれども、反省会では言いましたよ、それじゃ森繁さんの心情は伝わらないって」