強い副作用に見舞われるかもしれない。右の腎臓が使いものにならなくなって人工透析になる可能性も高い。その状態を受け入れ、小倉は、3度目のがんと闘っている。
離れて暮らすとお互いに優しくなれる
「若いころはね、ぽっくり死ぬことに憧れていましたけれども、それだと命を終える準備ができないじゃないですか。がんの場合は準備ができるんですよね。死にそうになったとき、『とくダネ!』に出演していた古市憲寿くんが僕の遺書代わりになる本を作りましょうって言うんで、つい先日『本音』という共著が出たばかりなんですけど、僕の病気ががんだったから死ぬ前に本を出すこともできたわけで。本の編集者に、腎臓を捨てて延命を選択したって話したら、“じゃあ第2巻が出せますね”って言ってましたよ(笑)」
危篤状態に陥り、死と向き合ったことで、小倉の終活も始まったという。
「絵画、楽器、DVDなど、大量のコレクションが事務所に置いてあったんです。僕が死んでからあわてて処分しても二束三文で買い叩かれるから、今のうちに練馬の自宅に引き揚げて、余生は好きなコレクションに囲まれて暮らせばいいでしょって、女房が言ってくれましてね。家のリフォームから荷物の引き揚げまで、女房が一人で全部やってくれたんで、もう、女房に頭が上がらなくなっちゃった」
大量のコレクションが自宅を占領したことで、小倉の奥さんは母親が暮らす都内の実家に引っ越した。週に何度か妻が夫の家を訪れるという別居状態である。そう聞くと、夫婦関係が崩壊したような印象も受けるが─、
「離れて暮らすと相手を思う気持ちが強くなるんですよ。毎日、おはようとおやすみのLINEは欠かさないし、91歳になる女房の母親も娘が帰ってきたことで以前よりも僕のことを気遣ってくれるようになった。先日、女房が練馬に来たときに、久しぶりに外で食事をしたんです。その帰り道で、何年かぶりに手をつないで歩きましたよ。違和感なくね。一緒に暮らしているとケンカしたりもするけれど、離れて暮らすとお互いに優しくなれるんだね」
と、うれしさを隠さずに話すのも小倉節。夫婦にも“間”はあったほうがいいのかもしれない。
取材・文/伴田 薫