上皇ご夫妻の“平成流”
政治学者で、天皇や皇室の研究を専門とする明治学院大学名誉教授の原武史さんは、今回の被災地訪問を受け、改めて上皇ご夫妻の“平成流”について振り返る。
「平成の時代は、災害直後に被災地に赴いていました。ただ当初は、“現場が混乱している状況下の中、赴くことはかえって迷惑になるのではないか”という批判もあったのです。そうした批判があるにもかかわらず、被災地訪問を続け、膝をついて一人ひとりに声をかけて回ったのが“平成流”です。
'11年の東日本大震災時にも、“平成流”を貫き、発災5日後にビデオメッセージを送り、その後7週連続で被災者を見舞うなど、積極的に現地に赴きました。その時には、それまであった批判がなくなり、称賛一色になりました」(原教授、以下同)
貫き通した“平成流”に対し、令和皇室はどのようなスタンスなのか。
「令和に代替わりしてからいきなりコロナ禍に陥り、3年くらいは動けない、動かないほうがよいという状況が続き、皇室の方針が大きく変わりました。今回の能登半島地震においても、ボランティアに対して、“現地に入ることを控えてください”と石川県知事が呼びかけるなど、コロナが明けても空気は変わらず、すぐに動くのはかえって迷惑になるという声が再び強まったと思います。そうした背景もあってか、令和の皇室は空気を読んで、様子見をしていたという印象です」
平成での上皇ご夫妻のなさりようを踏襲する一方で、令和皇室における雅子さまの役割とは─。
「皇后自身も療養中なので、適応障害など心の病で悩んでいる人々に対し、励みになる存在になり得ると思います。また外交官出身で英語が堪能なので、国内にいる外国人と直接話すことができる。そういった人たちを訪ねて交流すれば、外国人の施設をほとんど訪問せず、もっぱら国民との関係を強化してきた平成とは異なるスタイルになると思います」
雅子さまなりの“令和流”で、被災地に“慈愛の灯火”を届けたお姿は、国民の目に焼きついたことだろう。