約20年ぶりとなった母との再会
テレビ出演をきっかけに再会した人物がいる。母親だ。
マギー司郎は16歳のときに、家出同然で上京した。現金1万円(当時のサラリーマンの2か月分の給料)と衣服、そして大きな布団を背負って、上野駅に降り立った。
「あてはない。無鉄砲でした。普通に教育を受けていたら、当たりをつけてやっていたと思うんですけど、そういう知識もないんです」という行き当たりばったりで始めた東京の暮らし。以来、ふるさとには戻っていなかった。
「35歳のときに『小川宏ショー』に出たんです。それをおふくろが見ていて、知り合いにテレビ局に電話をしてもらった。当時は、取り次いでくれまして、『お母さんから電話がかかってきたよ』って言われましたね」
白内障を患い、地元の小さな病院に入院していた母を、マギー司郎は尋ねた。約20年ぶりの再会だった。その間、電話をかけたことも、手紙を書いたこともなかった。
「看護師さんに部屋を教えてもらって、スリッパで歩いていって、扉を開けたら『司郎か』って。行くって伝えてないんですよ。それでも足音でわかった。親子として生きるってそういうことかなと思いましたね」
なぜか、おでこに赤チンをつけていた母の姿を、マギー司郎は鮮明に覚えている。
封筒に入れた3000円を「小遣いだよ」と渡した。9人きょうだい(マギー司郎さんは7番目)を育てた母に、ちょっとした親孝行ができたと安堵している息子の前で、母親は感謝を伝えながら封筒を開けた。そしてこう、言い放ったという。
「これだけかい?」
「いまだにその意味がわかんないの。もっと頑張れよだったのか、足りないよだったのか」
謎の言葉として今も、マギー司郎は思い出す。