3年くらい家に帰らず妻と離婚も
ひと握りの人間しか専業で食べられない手品、マジックの世界。
「テレビで顔が売れたあと、事務所が営業や出演料を値上げしたので、いっとき仕事が減りましたけど、しばらくすると元に戻って、忙しくなりましたね」と売れっ子芸人として顔が知られる過程を味わった30代後半。
「どこかで、その気になっていたんでしょうね。結婚していたんですが、3年くらい家に帰らなかった。麻雀やったり、酒は飲めないけどみんなと騒いだりして、しょうがないですね。結婚は2度したけど、向かない。そういう人がいてもいいでしょ?」
私生活は多少波乱含みだが、エイジレスな芸は安定的に老若男女に浸透していく。
「『笑点』にいちばんゲスト出演させてもらっているんですよ」とマギー司郎が明かす『笑点』へのゲスト出演率の高さが、国民的人気を示す。
当時、同番組のディレクターとして働き、現在はプロデューサーを務めるユニオン映画社顧問の飯田達哉氏(72)は、「正確な数字は把握していませんが、出演頻度はナポレオンズさんと双璧だと思います」とし、マギー司郎の魅力を次のように伝える。
「安心感がある。見ている人も、失敗してもまあいいか、という感じになれる。今の芸人のように言葉がキツくなくて、あのイントネーションに引き込まれる。基本的にマジックは、しゃべらないでネタだけをやる芸能でした。ナポレオンズさんとマギーさんが、おしゃべりマジックというジャンルを開拓した功労者だと思いますよ」
誰もが知るネタ“縦じま横じま”については、「あれは“間”ですよね」と指摘。「手品なのかどうかは別として、マギーさんにしかできないネタ。これからも今のまま、ひょうひょうとやってくれるのがいちばん。突然イリュージョンとかやられたら笑っちゃいますけど」と、さらなる息の長さに期待する。
3月17日、マギー司郎は78歳になった。
「最近、終活の取材を受けることもあるんだけど、死ぬ気配がないんですよ。僕ぐらいの年になると身体のどこかが悪いもんですけど、循環器の先生にこの前も調べてもらったんだけど、全然悪くない。老衰しかないなって」
毎晩11時には寝て、5時ごろに目覚める。何もないと二度寝するか、天気がいいと2時間ぐらい散歩に出るという健康体。食事は自分で鮭を焼いたり、野菜たっぷりの豚汁を作ったり、近くのなじみの喫茶店で作ってもらったりしていただく。
「酒は飲んでもコップ1杯ぐらいですね。昔はね、楽屋で芸人が飲んでいたの。出番と出番の間に飲んで、体調崩して早死にする。芸人って朝から夜までずっと飲めるんですよ。楽屋で飲んでいる芸人を見て、こうしちゃいけないと教わったんでしょうね」
散髪は週に1度。芸人としての気遣いも忘れない。
「仕事にあやかりたいので、少しでも年より、若く見られたらいいなと思って」
着るものもとても70代には思えないほど若々しい。道具に感謝するために、よく触る。
「僕は好き放題に生きてきちゃったの。よく大コケしなかった、人生終わんなかったなと思う。運がいいだけなんですよ。ストリップ劇場の楽屋で育って、これで一生が終われたら、こんな幸せはないじゃん」
そう達観しながらも、仕事の依頼があれば全国どこへでも、弟子を連れて、大きなキャリーバッグ2個に、20~30のネタを入れて向かう現役感は健在だ。
大人から子どもまでを引きつける芸風が、地方のイベンターやホテルの営業担当者から「マギーさんの芸はテッパンだから」と重宝がられる。
子どものころ、地元にやって来たチンドン屋のあとを何時間も追いかけまわし、「大きくなったらチンドン屋になりたい」と漠然と思った子どもは、年を重ねた今、子どもらも夢中にさせる芸を披露する芸人になった。
「心は芸に映るよ」と弟子には伝え、自分にもそう言い聞かせ、決して偉ぶらない。
「正直まだ、欲があるんです。笑わせたい、笑ってもらいたいという欲がある。もう、これ以上にうまくなりたいとかは思わない。テクニックは落ちるし、忘れっぽくもなるでしょ。
今78歳ですから、85歳ぐらいになると、もうちょっと面白くなれるかと思うの。落語家の古今亭志ん生師匠みたいに、咳き込んだりするだけで喜んでもらえたら最高じゃない。そこから徐々にフェードアウトするのが理想です」
取材・文/渡邉寧久