発言はどう考えても“プロレス”だった

 筆者も、後者の織り込み済の演出だと見た視聴者のみなさんと同意見。

 率直な感想は「どう見ても“プロレス”だろ」だった。

 あえてきつめの言葉で言わせていただくが、この回を視聴したうえで「野田がリスクも恐れずに勇気ある声をあげてくれた!」とか、「野田がガチでフジモンに噛みついている!」と素直に受け取ったのだとしたら、“TVショー”に簡単に騙されすぎではないか。

 野田があのような反論をするのは、制作陣やさんまには前もって話を通してあったと考えるのが自然。フジモンにきつく当たっていたのもあくまでコントのようなもので、実際に野田の“ブチギレ演技”でスタジオは爆笑に包まれてもいた。

 ただ少々ややこしいかもしれないが、野田がウソをついているとか、心にも思ってないことを喋っていたとまでは思っていない。野田は正義感が強い印象だ。普段から本当に不祥事を起こす芸人を快く思っていないのだろう。だからあの発言の数々は彼の本心かもしれない。

 とはいえ、それをわざわざさんまの冠バラエティー番組のなかで、あのように激しい言葉で先輩芸人を腐したのは、番組を盛り上げるための“プロレス”に違いない、ということだ。

 さらに掘り下げると、あの野田のスタンスは藤本への“攻撃”どころか、むしろ“防御”になっている。

 番組に出演していたさんまやほかの芸人仲間たちは歓迎ムードだったため、全員がそういった温かい雰囲気で藤本復帰を受け入れると、世間から猛烈なバッシングを浴びかねない。

 野田の「仲よしこよしじゃないんだ!」と振る舞うポジションは、まだ藤本を許していない層の視聴者たちの共感を呼び、留飲を下げる効果があったということ。野田がいた場合といなかった場合では、後者のほうがフジモンやさんまへの批判の声がもっと多かっただろう。

無自覚なほうが怒りの熱量は増幅しがち

 テレビ番組内に限った話ではないが、“当人たちが自覚していない場合”のほうが、怒りの熱量は増幅しがち。

 今回のケースで言うと、番組側や芸人たちが「フジモンを温かく迎え入れることのなにが問題なのか」がわかっておらず、藤本をただただ快く迎え入れるという番組構成だったとしたら、それこそが最大の悪手。

 対して、番組内で藤本を許していないスタンスの野田を配置することで、野田と同じようにまだ許していない世間の声があることは承知のうえで出演させている、という“あえて感”が出せるのである。

 当人たちが無自覚ならば指摘してやらねばならないという感情から怒りが増幅するが、自覚したうえであえてやっていることに、わざわざ怒りをぶつける必要はないと考える視聴者も多いだろう。

 要するに、現状でも藤本やさんま、番組側への批判の声は多いが、野田ポジションがいなければ、もっともっと盛大に炎上していた可能性が高かっただろうということだ。

堺屋大地●コラムニスト、ライター、カウンセラー。 現在は『文春オンライン』、『CREA WEB』(文藝春秋)、『smartFLASH』(光文社)、『週刊女性PRIME』(主婦と生活社)、『日刊SPA!』などにコラムを寄稿。これまで『女子SPA!』(扶桑社)、『スゴ得』(docomo)、『IN LIFE』(楽天)などで恋愛コラムを連載。LINE公式サービス『トークCARE』では、恋愛カウンセラーとして年間1000件以上の相談を受けている(2018年6月度/カウンセラー1位)。公式Twitter:https://twitter.com/sakaiyadaichi