目次
Page 1
ー オウム真理教を被写体にしたドキュメンタリー作家 ー 日本アカデミー賞の舞台に「2人が一緒に上がることになるとは」
Page 2
ー いじめ、不眠で心療内科に通った幼少期
Page 3
ー 映画の世界の虜になり、作る喜びを知る ー “才能”も“運”もない。絶望の果て─
Page 4
ー ドラマ制作の夢のため転職した先は……
Page 5
ー 撮りたいものと求められるものの間で
Page 6
ー 他者への不安と恐怖が増大する社会で

 第47回日本アカデミー賞の授賞式がグランドプリンスホテル新高輪で開催された、2024年3月8日。そこには、映画『福田村事件』で優秀作品賞と優秀監督賞を獲得した森達也監督(67)の姿があった。

オウム真理教を被写体にしたドキュメンタリー作家

日本アカデミー賞授賞式で、監督賞を受賞した監督たちと(写真右から2人目が森、公式サイトより)
日本アカデミー賞授賞式で、監督賞を受賞した監督たちと(写真右から2人目が森、公式サイトより)

「こんな企画が本当にできるのだろうか、本当に撮影できるのだろうか、公開は本当にできるのだろうか」

 と悩み、自問自答を繰り返して完成した作品だ、とスピーチで明かした森。そんな複雑な思いが、スポットライトに照らされた瞬間でもあった。

 森といえば、オウム真理教を被写体にしながら、社会を映し出したドキュメンタリー映画『A』『A2』などで知られるドキュメンタリー作家。『福田村事件』は、そんな森が初めて劇映画に挑んだ意欲作だ。

 関東大震災の5日後に、千葉県東葛飾郡福田村(現野田市)と隣の田中村(現柏市)の自警団を含む村人たちによって、香川から来た薬売りの行商団が朝鮮人と疑われ殺害された事件を描いた本作。

 '23年9月1日に公開され、“タブー”として歴史の闇に葬り去られた真実を、100年の時を超え明らかにした。

日本アカデミー賞の舞台に「2人が一緒に上がることになるとは」

 日本アカデミー賞優秀作品賞では、是枝裕和監督の『怪物』や、山崎貴監督の米アカデミー賞で視覚効果賞を受賞した『ゴジラ―1.0』などと共に受賞。森と是枝は、テレビのドキュメンタリーからキャリアをスタートさせ、付き合いは長い。是枝は、

「まさか日本アカデミー賞授賞式の舞台に、この2人が一緒に上がることになるとは感慨深いものがある」

 と授賞式当日、森の耳元で囁いたという。映画監督として数々の作品を発表してきた是枝に比べ、森が単独で手がけたドキュメンタリー映画は『A』『A2』『FAKE』『i―新聞記者ドキュメント―』のわずか4作に過ぎない。だが彼のドキュメンタリー作家としての才覚について、長年ドキュメンタリーの世界でしのぎを削ってきたテレビ制作会社『テレコムスタッフ』の長嶋甲兵プロデューサー(63)はこう言い切る。

「オウム信者の生活を取材しながら、オウムを見ているメディア、地域住民、右翼といった彼らを取り巻く社会構造を描くことに成功した『A2』。ゴーストライター騒動が報じられた、佐村河内守とメディアとのやりとりを客観的に捉え、真実を突き止めようとする『FAKE』。この2本はまぎれもなく、世界のドキュメンタリー史上最高傑作です」

 とにかく森達也という存在は、一度狙った獲物は逃がさない。 実際、『福田村事件』を映画という形に仕留めるまで20年以上の歳月がかかっている。

 '02年、スタッフルームの片隅で読んだ、ある新聞の地方版に掲載されていた小さな囲み記事に目が留まった。千葉県野田市に関東大震災に関連する慰霊碑が建つことを知り、森の心はざわついた。

「ほとんど資料がなかったものの、現地に足を運び、調べられる範囲で調べ、企画書にまとめてテレビ局の報道番組に企画提案しました。

 ところが被差別部落問題に朝鮮人虐殺という2つのタブーが重なる企画に、どの局も腰が引けていました」

 それでもこの事件のことが頭から離れず、'03年、自著『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』(晶文社)の中で《ただこの事実を直視しよう》と題して書き記す。このエッセイで事件を知り、衝撃を受けたフォークシンガーの中川五郎は23番からなる『1923年 福田村の虐殺』という26分に及ぶ長い歌を発表。それを偶然耳にした映画監督・脚本家の荒井晴彦が、

映画にしよう」

 と決意。旧福田村へも足を運び、シナリオハンティングを行っている。偶然が積み重なる奇跡の連鎖。やがて『福田村事件』のバトンは森の元に返ってくる。

 これが寡作なドキュメンタリー監督が劇映画デビューを飾ったいきさつである。しかし問題は山積みだった。森は当時をこう振り返る。

「作品の内容が炎上案件だけに、誰が出演してくれるのか。俳優が出たいと言っても事務所は嫌がるだろう」

 ところがフタを開けてみると、井浦新、田中麗奈、永山瑛太、豊原功補、コムアイ、柄本明、東出昌大といったそうそうたる俳優陣が集結したのだ。

「オーディションには2000人もの俳優たちが集まり“こういった映画に出たい”“世の中にこういう映画が少なすぎる”といった彼らの思いがヒシヒシと伝わってきました」

 さらにクラウドファンディングで3000万円もの当座の資金が集まり、映画はクランクインすることができた。

「撮影は'22年の真夏。暑い盛りに京都付近で合宿しながら行いました。コロナ禍でもあり、もし誰か1人でも罹ったら撮影は中止となり、予算が潤沢にあるわけでもないので映画はお蔵入りの可能性もありました」

 数々の苦難を乗り越えて、20年間温めてきた企画を実らせ、日本アカデミー賞にも輝いた森監督。その姿は、まさにタブーに挑む執念の人。反骨のジャーナリスト魂を持ったドキュメンタリー作家を想像するに違いない。

 ところが素顔の森は、穏やかで物腰の柔らかい、ちゃめっ気たっぷりの男。そんな森監督は、一体どこに牙を隠し持っているのか─。