いじめ、不眠で心療内科に通った幼少期
1956年、広島県呉市に生まれた森は、海上保安官の父の転勤に伴い、広島、青森、新潟、石川、富山、新潟と幼少期から海辺の街を点々。そうするうちに、すっかり転校生のトラウマを背負うことになった。
「転校生にはうまく立ち回るタイプと立ち回れないタイプがいます。僕は明らかに後者。友達がまったくできずに転校することもありました。
小学3年のときに吃音に悩み、国語の授業中に指名されても教科書を読むことすらできません。いじめの標的にもされ、髪の毛が大量に抜け始め、夜、寝られなくなり心療内科に通ったこともありました。
学校の給食が喉を通らなくなったのもこのころ。無理に飲み込もうとしても吐きそうになる。残すと怒られるので仕方なくおかずを全部膝の上のチリ紙に落とし、机の中にしまい込みました」
これが小学3年生の浅知恵。毎日ため込むばかりで捨てることをしなかった森に、やがて悲劇が訪れる。
「森君の机が臭い」
と、隣の席の女の子に訴えられクラスメート全員が見守る中、公開処刑の憂き目にあった。
「机が開けられると極彩色のカビに覆われたおかずの塊が現れ、強烈な腐敗臭が立ち上り、ほのかに思いを寄せていた女の子が口を押さえ戻しそうになっているのが見えました。その瞬間、頭の中が真っ白になったのを覚えています」
その後の記憶は、まったくないという森。いや脳が、当時の記憶を抹消してしまったに違いない。
こうした経験を重ねるうちに、森はますます自分の殻に閉じこもるようになる。
「そんな僕を心配して、母は小学館の世界の名作文学全集と、偕成社の世界ノンフィクション全集を買い与えてくれました。
読書には夢中になりました。学校の図書館からもたくさん借りていました。あとは虫。トカゲやカエルを含めて、たくさん飼っていました」
こういった転校生のトラウマから解放されたのは、中学2年生のとき。転校をすることなくこのまま高校卒業まで新潟にいられることがわかると、森は見違えるように元気を取り戻していった。
「当時人気だった『柔道一直線』の影響もあり、父のすすめる柔道部に入部。中学、高校と部活に励み、友達にも恵まれました」
やがてそんな森に、映画との出合いがやってくる。