同作の興行収入は137億円を記録する大ヒットを収めたが、真田には複雑な思いが残り続けた。その思いを払拭するため、真田は'05年に渡米。そこで待っていたのは、苦難の日々だった。
「日本では人気俳優でも、ハリウッドでは、ただの日本人。オファーもなく、仕事を獲得するためオーディションを受け続けたと聞いています。しかし、言葉の壁も厚く、思うように進まなかった。日本人への偏見や差別意識もあったようで、嫌な思いをすることも少なくなかったようです」(同・映画業界関係者)
親友との約束
真田は、それでも挫けず前を向いた。信頼を勝ち取り、少しずつオファーが舞い込むように。そして辛酸を舐めた『ラスト サムライ』から21年目にして、ついにチャンスをつかんだ。
「『SHOGUN 将軍』では、真田さんはプロデューサーとして徹底的に日本を忠実に描くことを心がけた、とインタビューで答えています。セットから演者の立ち回りまで“正しい日本を描いた作品を作りたい”と願い続けた、真田さんによる集大成の作品です。関係者から聞いた話では、高い場所から飛び降りる場面の撮影では、スタントマンを使わず真田さんが演じることもあったそうです」(前出・映画ライター、以下同)
肉体は俳優の言葉─。千葉さんの教えを受け継ぎ、真田がハリウッドで花を咲かせた。
一方、かつて、ある約束を交わした親友がいる。
「同い年である佐藤浩市さんとは'86年の映画『犬死にせしもの』で共演して以来の大親友。今も真田さんの帰国時には一緒に飲むこともあるそう。2人は共演した当時、雑誌の対談企画で“『犬死に〜』の続編を自主製作でやろう”と話していました」
若き日に勢いで言った、冗談だったかもしれない。だが、'22年にバラエティー番組に出演した佐藤は、真田とのこんな会話を明かしている。
「佐藤さんが“もういいじゃねぇか、帰ってこいよ。日本でまたやろう”と伝えたところ、真田さんは“意地を張ってるわけじゃないんだよ。アメリカ、楽しいんだよ”と答えたそう。ぶっきらぼうな言葉とは裏腹に、佐藤さんの中には、また真田さんと一緒に映画を作りたいという思いがあるように感じました。『SHOGUN 将軍』はシリーズ化されるため、まだ先になるとは思います。しかし、真田さんがハリウッドで大成功を収めた今、かつて2人が語っていた“夢”は、実現へ一歩近づいたはず」
その思い、形になれ─。