共演した日本のミュージシャンからも多くを学んだ。
「僕、ドリカムと久保田利伸さんが好きなんですよ。ブラックミュージックに影響を受けた先駆者みたいな方たちなので、すごく参考にさせてもらってます。コーラスのつけ方とか、我流ですけど、意識してましたね」
昨年5月に病気が見つかり“余命宣告”を受ける
5月8日に誕生日を迎え、バースデーライブを行った。35歳になったこのタイミングでアルバムをリリースしたのには理由がある。昨年5月に病気が見つかって“余命宣告”を受けていたのだ。
「2歳の娘の検査で遺伝子検査を行いまして、その際、僕に異常が見つかったんです。骨髄移植をしないと意識障害が続いて耳も聞こえなくなり、20年後には亡くなりますって言われて……」
目が見えないというハンディを克服したものの、さらなる試練が襲った。
「当時は絶望でした。何よりも奥さんが泣いちゃって。でも、バンドメンバーに支えられて、音楽の力みたいなものに助けられました。アルバムを作るのは、音楽や仲間に対しての恩返しですね」
幸い骨髄移植は成功し、前を向くことができた。簡単なことではなかったが、責任感が木下の原動力となる。
「今から約2か月前、精神的に病んで声が出なくなったんです。骨髄移植からあまり月日がたっていないので、焦りました。“5月19日のライブを成功させなければ”という気持ちがありましたから。同時に、父親として家計を支えるということも頭にありました。“自分が頑張らなければ家族が倒れてしまう”って。娘と妻を守っていくという思いは常に持っています」
'20年に結婚し、家庭を持ったことが強さを与えた。
「駒沢オリンピック公園総合運動場で開催された『パラ駅伝2016』でライブをした時、観客として来ていたのが妻でした。自分の歌にハマってくれて、SNSのメッセージをくれたのがきっかけです。そのころ、妻がお父さんを肝臓がんで亡くしたんです。それから、共に支え合ったことで次第に仲が良くなっていきました」
ただ、結婚への道は平坦ではなかったという。
「妻の実家に挨拶にいったら、親戚一同から結婚なんて許さんって猛反対されて。思わず泣いてしまった僕を、妻が慰めてくれたんです。結局、親族の承諾を得ないまま結婚しました。妻に支えられてばっかりですね(笑)」
木下は盲目を不幸とせず、逆境を乗り越えてきた。
「高校生の時、“あなたには介助の人がいるから何もしなくていい”と先生に言われたんです。僕は自分ひとりでやりたいのに。“何くそ”って思いましたね」
音楽だけでなく、できることの範囲を広げていきたい。日常生活でも、最近新たなチャレンジがあった。
「妻がSMAPのファンで、『新しい地図』を追っかけてパリまで行ったんです。その間は、家で1人の生活ですから、妻が料理を作り置きしてくれたんですが……。電子レンジで温めるか、ガスを使うか、火はちょっと危ないんで試行錯誤中です(笑)」
反骨心が成長を支え、感謝の心で音楽への情熱を育んだ。35歳になり、これからもミュージシャンとして生きていく決意を新たにしている。
「これまで続けてこれたのは、根拠のない自信のおかげですかね。誰にも負けないとか、なんとなくできそうと思っていれば、なんとかなったり、そんな感じでやってきたから。たまに飽きたりしますけど(笑)。それでもやっぱり、好きだからやめられないんですよね」
過剰な気負いはないが、これからも音楽から離れることは考えられない。
「生涯ミュージシャンでありたいので、墓場まで音楽を持っていくぞっていう意志はあります。ステージの上で倒れるじゃないですけど、そういうことができたら本望だなって思いますね」
“絆”を大切にしてきた木下の音楽は、明日に向かって紡がれていく。