“ねじねじ”ではない真っすぐな生き方

 谷中の居酒屋『鳥よし』には、毎晩のように通っていた。店主が明かす。

「ご自宅から近かったので、中尾さんはTシャツに短パン姿。夜11時になると近所の仲間と集まって、朝の新聞配達が来る時間までいましたよ。

 中尾さんが飼っているチワワが、ウチの“つくね”が好物で、連れていけって中尾さんの脚を噛むから来たって(笑)。志乃さんは“横綱”と自称するくらい大酒飲みだけど、中尾さんはビールと酎ハイをたしなむ程度でした」

 江守徹松嶋菜々子を伴って来店したことも。店主とは家族ぐるみの付き合いだった。

「沖縄のマンションに連れていってくれました。海が一望できる素晴らしい景色でしたよ。ラジオ番組に出ているうちに沖縄が気に入ったみたい。沖縄にも飲食店で働く若い友人がたくさんいましたよ」(『鳥よし』の店主、以下同)

 立川談志さんを連れてきて、どんちゃん騒ぎをしたこともあったという。

「志乃さんのお母さんを連れてきたこともありました。タワマンに移ったときは、3人で暮らしていましたね。部屋からはスカイツリーや上野恩賜公園、不忍池が一望できて、中尾さんは気に入っていたけれども、風向きによっては動物園のほうから臭いが漂ってきて困るって(笑)。あのときの仲間はみんな亡くなり、中尾さんも逝ってしまって、寂しくなります」

 神田神保町の老舗中華料理店『揚子江菜館』にも長く通っていた。

40年以上、2か月に1回は通っていただきました。昭和8年から出している“元祖冷やし中華”がお好きで。季節柄、そろそろ来店されるのではと従業員と話していたので、とても残念です。とにかく謙虚な人で、席が空いていても奥の狭いテーブル席に座る。“自分なんかより、ほかのお客さんをかまってあげて”が口グセ。ドラマの打ち上げでも使ってくれました」(店長の沈松偉さん)

 中尾さんを知る人は、誰もがその謙虚でおおらかな人柄を語る。“ねじねじ”どころか、ひたすらに真っすぐで義理堅い生き方を貫いた。