さまざまな女性と浮名を流すプレイボーイ
若いころは端正な顔立ちが際立っており、二枚目役も多くこなしていた中尾さん。さまざまな女性と浮名を流し、プレイボーイとしても知られていたが、1970年に俳優の茅島成美(81)と最初の結婚をする。長男にも恵まれるが、共演した俳優の故・眞帆志ぶきさんとの不倫が発覚。離婚調停となる。
その後、ドラマで共演した池波と意気投合し、茅島との正式な離婚を待って再婚。
「長男の親権は茅島さんが持つことになり、中尾さんは慰謝料2000万円と毎月の養育費を支払うことに。そのお金のやりくりを一手に引き受けたのが志乃さんでした。ただ、中尾さんは離婚してから一度も息子には会えなかったそうです。志乃さんへの気遣いもあったとは思いますが……」(前出・記者)
中尾さんと茅島と交流のあった、俳優の冨士眞奈美(86)はこう振り返る。
「若いころの中尾さんは、背が高くて目が大きくて、日本人離れしたイタリア人俳優のような顔つきでしたね。モテて当たり前、という感じでした。中尾さんが息子さんをとてもよく可愛がっていたことは茅島さんから聞いていましたが、“子はかすがい”とはならなくて、結局離婚してしまった。その後は一回も息子さんに会わなくて、茅島さんがお一人で頑張って育てていたと聞いていました。
ある日ドラマの現場で共演していた茅島さんに『冨士さん、ちょっとちょっと』と呼ばれたんですね。行くと『息子が大学に合格したの』と、とてもうれしそうに話してくださった。しかもかなり難関の大学でした。茅島さんと中尾さんは没交渉だったみたいだから、中尾さんはそれを知っていたのかどうか──」
「私たち夫婦には子どもがいないから」と語る、遺贈寄付のCMに出演していた中尾さん。この言葉に、発した本人を含め、心にさざ波を立てた人たちもいたのではないだろうか。