テレビ全盛の'80〜'90年代、華やかな活躍を見せた“女性アナ”たち。時がたち、還暦を迎える年齢となった現在はどのような生活を送っているのか。かつての苦労や第二の人生について、フジテレビの阿部知代元アナウンサー(60)に話を聞いた──。
できる限り働き続けるつもり「フジテレビが大好きなんです」
「60歳ということで、この1年間は意識的に赤を着るようにしています。年齢を重ねるときれいな色を着たほうが肌の色もよく見えるし。ちゃんちゃんこはさすがに着ないので(笑)」
真紅の鮮やかなドレスで取材に現れたのは、フジテレビの阿部知代元アナウンサー(60)。昨年7月に定年を迎えるも、華やかな笑顔と抜群のスタイルは年齢を感じさせない美しさ。自身、還暦を迎えた心境はというと?
「感慨はまったくなくて。というのも、今も定年前と同じデスクで同じスケジュールで同じ仕事をしているんです。だから何も変わらず、定年を迎えた実感がないんですよね(笑)」
バブル期の1986年に入社し、フジテレビきっての個性派アナウンサーとして存在感を放ってきた。ただ当初は不遇の時代もあったそう。
「間違ったところに来てしまった、とずっと思っていました。私はいわゆる“女子アナ”のイメージとは違って、可愛くもないし、パステルカラーのお洋服も着ない。いつも全身黒で髪形も刈り上げです。今振り返れば、使いにくかっただろうなと思います。実際仕事がなくて腐ることもありました」
可愛い“女子アナ”たちが人気を集めるなか、一人1日中アナウンス室で待機する日々が続いた。しかしやがて転機が訪れる。当時フジテレビではニュース番組の単独出演を男性アナウンサーに限っていたが、彼女の行動がその伝統を変えた。
「元フジテレビアナウンサーの山中秀樹さんに、土日のニュースを担当できる男性アナウンサーがいなくてデスクが困っていると、ニュースを読みたいなら報道局長に言ってこいと背中を押されて。
いざ報道局長に話したら、“俺も前からおかしいと思ってたんだよ”と言ってくださった。ただ露木茂さんには、“おまえがコケたらこの後はないと思え”と言われましたけど」
フジテレビで初めて女性アナウンサーの単独出演で『産経テレニュースFNN』を担当。さらにバラエティーに教養番組と活躍の場を広げていく。
当時はテレビの黄金期で、視聴率も今とは桁が違った。
「20%、30%超えは当たり前でした。実際私が出演していた『なるほど!ザ・ワールド』はいつも30%を超えていましたね。あるとき28%になったら、もう大騒ぎになるほど。30%切っちゃった、何が悪かったんだろうと、騒然となったのを思い出します」
バブル景気の中、テレビ業界はひときわ華やかで活気に沸いた。予算も潤沢にあった。
「やりたいことをどんどんやれという時代でした。番組の忘年会も豪華で、ビンゴ大会の賞品が海外旅行だったり、高級車だった。今では考えられない話ですよね」