(2)「違和感はあったけれども組織員が言い出せなかった」を防ぐには?

 この(2)は故・山本七平さんが傑作『「空気」の研究』で述べたように、あるいは猪瀬直樹さんが『昭和16年夏の敗戦』で鮮やかに分析したように、日本人は空気が支配し、その場の流れに乗るしかない側面もあるだろう。

 これに対する絶対的な解決法はない。ただ、いくつかの組織では意図的にKY(空気・読めない)部門を置いている。これを3つのディフェンスラインとも呼ぶ。

 たとえば、メーカーの検査部門があるとする。昨今では検査不正が相次いでいる。だから、検査部門とは別に品質管理部門にも、検査不正がないか監視させ牽制させる場合がある。ただ検査部門と品質管理部門が蜜月だと牽制がうまくきかないケースがある。だから、3つ目にKYな部門として、業務監査部門に怪しげな検査がないかを調べさせる。

 現場の検査部門と品質管理部門は、不正検査でもやらないと出荷に間に合わないといった動機を持ちやすい。そこに戦略的KYによってその動機を抑止する。

 また雰囲気として違和感を表明できない場合だけではなく、サンクコストを意識しすぎる場合がある。つまり、「これだけお金かけて作っちゃったんだから、いまさら取り消しなんてできないよ」という感情だ。

 しかし考慮するべきは未来であって、過去ではない。過去にどれだけお金をかけても、それが未来に損害を与えるのであればやめるべき、という冷静な評価が必要だ。

 ここまでしないと、「違和感を表明していい空気」を作ることには繋がらないのだ。

歴史上の固有名詞を使わない傾向へ

 なお、アーティストの炎上事件の際、専門家はよくアーティストは意図を含めて議論を、というものの、当事者本人は精神的にその気になれないはずだ。また議論といっても、誰と議論するのかわからず、議論しても物事が改善するようには思えない。

 企業の場合も同じだろう。歴史観についての議論を回避し、炎上したらすぐ謝罪し対象コンテンツを消すのは「事なかれ主義」といわれるかもしれない。

 ただし、前述の「そもそも炎上する内容だと知らなかった」→「できるだけ組織員に啓発を行う」「違和感はあったけれども組織員が言い出せなかった」→「サンクコストを重要視せず、違和感を表明できる組織づくりをする」といった努力をしたうえで、企業はおそらく歴史上の固有名詞を使わない方針になるだろう。

 少なからぬ歴史上の人物は、善の側面と悪の側面をもつ。歴史上の人物を登場させたとき、その悪の側面を批判されると、人気商売はなかなか反論しにくい。

 これは価値観の善しあしの問題ではない。企業は防御策として、固有名詞を避けるしかない、という意味だ。昨今では、CMタレントにも不祥事を起こさないAIが起用されはじめている。私たちが生きているのは、それほどまでに漂白化された社会なのだ。