“スワンボート”で再び海に

 いっさいの道具がないところから、火を使って木を切り、漂着物で束ねたイカダを作成。102日目にして、無人島からの脱出を果たした。だが、これで終わらない。

「今度はTプロデューサーから電話で“お前らすごい根性だな。東京で仕事をあげるから。でも、お金持ってないだろ? “足”は用意してやったから”と言われ、海岸を見るとスワンボートが置いてありました。これも最初はドッキリかと思っていました」

 さらなる“過酷な旅”がスタートした。人が歩くほどの速度でしか進まないスワンボートを漕ぎ、東京を目指す。

「みなさんが乗るのは湖ですが、海は波と風があります。進行方向と逆に流れる潮や向かい風のときは、1時間必死に漕いでも1mほどしか進まない。なので、漕ぎ始めるときは毎日、漁師さんに潮の流れを聞いていました」

 夜になると倒れ込むように海岸で眠り、目覚めるとボートを漕いだ。

「生活の一部となり、何にも会話がないんですよ。撮った映像を編集するスタッフさんからは“とんでもない映像だった”と言われたことがありました。実はこのとき、自分たちの姿がテレビで放送されていることすら知らなかった。だから“誰も見ていないのに何をやっているんだろう”と、ネガティブになった時期もありました。それが、少しずつ“頑張れ”と声をかけてくれる人がでてきて、頑張ることができました」

 スワンの旅は、東京から仙台へと行き先を変え、終わりを遂げる。やりきった――、過酷な旅から解放されたとばかり思っていた。

「東京に戻ってマネージャーさんと食事に行くと“急で悪いけど、明日からインドに行ってほしい”と言うんです。長期間の旅で、私たちは長い髪とヒゲが生えていたこともあり、企画内容はインドのヒゲ仙人と綱引きをするというものでした。私は“売れると仙人と綱引きできるんだ、スゲーな”と、初の海外ロケに興奮していました」