最も過酷な旅の始まり

 このとき、旅はまだ終わっていないことを知らなかった。1998年12月、インドの撮影現場に到着すると、さっきまで一緒にいたスタッフたちが姿を消した。不審に思っていると、現地の子どもが衛星電話を持ってきた。電話に出るとTプロデューサーからこう告げられる。

「場所、間違えちゃったな。インドじゃなくてインドネシア。足は用意したから」

1年半にわたる過酷な旅で、長い髪にヒゲがトレードマークになったしゅくはじめ(事務所提供)
1年半にわたる過酷な旅で、長い髪にヒゲがトレードマークになったしゅくはじめ(事務所提供)
【写真】「ヘビ使いに弟子入りも」海外旅で生活資金を稼ぐため働いていた、しゅくはじめ

 ガンジス川を見ると、見慣れた白鳥のボートが……。

「このときは膝から崩れ落ちました。正直、もうスワンは見たくなかったんですよ。スワンに関するモノには触れたくないと思っていました。なので、このときもドッキリだと思っていました。でも、私たちは“やります”と言ってしまうんです。頭が悪すぎてインドからインドネシアは近いとばかり思っていました」

 インドの都市・コルカタからインドネシアの首都・ジャカルタは、直線距離で約4000km。こうして、もっとも過酷な旅が始まった。

 何度も命の危機を感じたという。

「河を進んでいるとワニが、海ではサメがついてくることもありました。そのときは、きっとこれがテーマパークだったら楽しいんだろうなと現実逃避していましたね。また、とある海域では本当に海賊が出るらしく、その海域をスワンで通ることは許されなかったんですね。ここでギブアップするか、飛行機で乗ってその海域を超えるかの選択を番組から迫られました。辞められるチャンスだと思い、ギブアップと言うと、飛行機に乗ってでも続けてくれと言われました」

 これだけではない。

タイのあたりは梅雨の時季に台風のような天候になることがあるんです。当初、その時季の出航はやめようという話も出ていましたが、番組的にまったく進まないのはマズいので、結局スワンボートを漕ぐことに。万が一スタッフが乗っている船と衝突したら、スワンボートが壊れます。なので、何かあったときに助けてくれるスタッフの船は、かなりの距離をとっていました。スタッフさんは“生きて、また会えたらいいね”と言って、船で離れて行きました。正直、いま生きているのがすごくラッキーなんだろうなと思っています