'81年、脚本家の向田邦子さん(右)と対談中にたばこをくゆらす桃井かおり(左)
'81年、脚本家の向田邦子さん(右)と対談中にたばこをくゆらす桃井かおり(左)
【写真】ヒコロヒー似? 30歳にして貫禄ありまくりな桃井かおり

 タバコをくゆらせ、酒を嗜むといったイメージのある桃井。イギリスでも、パブでお酒を楽しみながら、二つ返事で出演を快諾するとは、さすがの度量の大きさ。そんな桃井の懐の深さは昔からだった。当時の秘話を富岡氏が明かしてくれた。

『幸福の黄色いハンカチ』出演秘話

私は大学を卒業後、桃井さんが所属していた芸能事務所に入社しました。そこで桃井さんを担当させていただいたのですが、もともと私は音楽に関する仕事がしたかったんです。あるとき、事務所内で桃井さんのアルバム制作をする企画が持ち上がり、私が桃井さんにお願いをしたんです。すると彼女は“あなた音楽をやりたかったのよね。だったらやるわ”と、僕のためにやると言ってくれたのです。私は学生時代から桃井さんの大ファンでしたから、感動しましたよ

 それだけではない。桃井の出世作となった1977年公開の映画『幸福の黄色いハンカチ』の出演についても、エピソードがあるという。

映画は当初、高倉健さん、倍賞千恵子さんのほか、桃井さんの相手役として中村雅俊さんがキャスティングされていました。桃井さんも“雅俊がやるなら、出るわ”と話していたのですが、中村さんはその後にNHK大河ドラマ『花神』への出演が決まるんです。これにより、北海道での長期ロケはスケジュール的に難しいとなってしまったのです

 中村の後任として選ばれたのが、武田鉄矢だった。

当時はフォークグループ『海援隊』でヒットソングを出したこともあった武田さんでしたが、桃井さんは彼を知らなかったようで“武田って誰なの。雅俊じゃないなら断って”と言うんです。しかし、サブカルチャー的な潮流の中にいた桃井さんが、山田洋次監督が作るメジャー作品に出演するってことは絶対に今後のプラスになるはずだと私は思いました

 そこで富岡氏は“絶対に出演するべき”と熱弁を振るい、桃井の説得を試みた。

すると彼女は“そこまで言うなら、あなたは何を賭けるの?”と言うんです。新人社員の私が出せるものといったら、桃井さんの担当を外れるか、会社を辞めるしかなかった。そう伝えたら、桃井さんは“あなたがそこまで言うなら、やるわよ”と、出演を決めてくれた。映画はとってもよくて、試写会で私も泣いたのですが、桃井さんを見たら号泣していました(笑)

 結果、仕事も増加。成功を収めたが、富岡氏は芸能事務所を辞めてレコード会社へ転職。念願の音楽業界で働く中で、今回放送される桃井のカバーアルバムも手掛けた。その“縁”は、今も続いている。

桃井さんには年に1回、近況報告などでご連絡をしているのですが、23歳からたった3年間マネージャーだった私にも、桃井さんは必ずお返事をくれます。本当に感謝しかありません

 番組では何を語るのか。桃井がゲスト出演するラジオ番組『ましゅまろ気分』のパーソナリティー・けりこ氏にも話を聞いた。

「北海道のFM局ということで、北海道に関連したことをお話しいただきました。桃井さんが出演した映画『幸福の黄色いハンカチ』や、1976年に放送された倉本聰さん脚本のドラマ『幻の町』は、北海道がロケ地なのでその思い出を。また、函館出身のロックバンド・GLAYとの仲よしエピソードなどもお聞きしました。北海道在住でなくとも、アプリ『リッスンラジオ』などを使って聞くことができますから、ぜひリアルタイムで聞いてもらえたら嬉しいです」

 放送は7月15日の午前11時から。桃井が語る北の大地への思い、聞くしかない。