大学院に戻った原田さん。博士後期課程に進み、そこで初の南極行きの切符をつかんでいる。
「今回は33年分の宿題を解決しに行く感じ」
ある日、指導教授のもとに「南極隊員求む」との打診が入る。教授はまず男子学生に声をかけていくが─。
「男子は全員行きたくないと断っていましたね。そこで“ぜひ行きたいです!”と立候補して。最初は先生に大反対されました。南極は私の博士論文のテーマ(赤道域)とまったく違う。また、行くと休学しなければならなくて、“卒業が遅れる。そこまでする必要があるか”と言われたけれど先生を説得しました」
念願叶い、晴れて第33次隊員として南極行きが決定。24歳のときで、日本の南極観測隊員で女性は原田さんで2人目だった。
晴海埠頭から船に乗り、紙テープを投げて出航した。昭和基地まで4週間の船旅だ。
「何もかもが楽しかった。夜中までみんなで仕事をしたりとかなりハードワークでもあって。建築作業もあったりと、普段の観測だけでは味わえないような面白い経験もたくさんさせてもらいました」
充実した時間を過ごすも、楽しい思い出ばかりでは終わらない。大切な任務が果たせず、悔いを残すことになる。
「マリンスノーの観測だけ失敗してしまったんです。光合成によって二酸化炭素が生物により吸収、有機物に合成され、粒子となり海底に向かい降り注いでいく。海の中で雪が降るように見えることから、マリンスノーと呼ばれています。採取したマリンスノーを回収するはずが、装置が見つからなかった。重要なサンプルがすべて流されてしまいました」
帰国後は海洋研究開発機構に就職。北太平洋や北極海の研究観測に取り組んでいた。そこに再び南極行きの話が。
二度目の南極行きは第60次南極地域観測隊で、このとき女性で初めて副隊長を務めている。また、夏隊長も女性で初めて務めた。最初の訪問から27年がたっていた。
「南極に再び行って、“ああそうだ、私、失敗してたんだ”と、前回やり遂げられなかった仕事をまざまざと思い出しました。“やっぱりこれはなんとかしたい。もしもう一回チャンスがあれば、次はマリンスノーを採取する観測プログラムを持って現地に行きたい”と、そのとき思ったんです。だから今回は33年分の宿題を解決しに行く感じです」