秋篠宮さまの荘厳な成年式

未成年者用の装束「闕腋袍」を着て成年式の儀式に臨んだ秋篠宮さま(1985年11月30日)
未成年者用の装束「闕腋袍」を着て成年式の儀式に臨んだ秋篠宮さま(1985年11月30日)
【写真】学生時代の佳子さま、割れた腹筋が見える衣装でダンスを踊ることも

 今から遡ること39年前の、1985年11月30日、秋篠宮さま(当時は礼宮文仁親王)は20歳の成年となり、皇居では、平安絵巻そのままの荘厳な成年式が行われた。報道によると、この日午後、秋篠宮さまは、皇居・宮殿「春秋の間」で成年式の中心行事「加冠の儀」に臨んだ。裾の長さが6メートルを超える、未成年者用の装束「闕腋袍」を着て、頭には黒絹の額当て、手には笏を持っていた。

 主催者である上皇ご夫妻(当時、皇太子ご夫妻)に続き、昭和天皇が姿を見せ、儀式が始まった。加冠の座に座った秋篠宮さまの頭から侍従次長が、黒絹の額当てを外し、成年用の燕尾纓が付いた冠をかぶせた。背後から侍従が、冠に掛緒をかけてあごで結び、緒の両端を和ばさみで「パチン、パチン」と切り落とした。静寂に包まれる中、和ばさみの音だけが鋭く響いた。兄の天皇陛下(当時、浩宮徳仁親王)ら皇族方、中曽根康弘元首相らが見守り、式は20分ほどで終わった。

 この後、成年用の装束「縫腋袍」に「垂纓」の冠姿の秋篠宮さまは、二頭立ての儀装馬車に乗って、約1キロ離れた宮中三殿に向かい、成年皇族として初めて参拝した。さらに、皇居の正殿「松の間」で「朝見の儀」が行われた。昭和天皇に向かって、燕尾服の秋篠宮さまは「成年皇族としての務めを自覚し、勉学にいそしみ、ご恩にお報い申し上げたく存じます」と述べ、昭和天皇は「ますます身を鍛え心をみがき、皇族の本分を尽くすことを希望します」と、励ました。

 20歳の誕生日を迎える前日の11月29日、秋篠宮さまは初めて記者会見に臨んだ。1980年2月に成年となった天皇陛下から成年式のアドバイスがあったかどうかを尋ねられた秋篠宮さまは「例えば加冠(の儀)のときには、何か言わなくてはいけないのですが、私は声が大きくないので、『できるだけはっきり言いなさい』とか」などと答えた。

「将来、どういうことをしたいとお考えですか」との問いには、「自然史関係に興味があります。特に、魚類に興味がありますのでそちらのほうでお役に立つことがあれば。(略)魚類に興味を持ったのは父の影響が強いと思います」などと述べた。

 さらに、記者たちから「ご結婚は何歳ぐらいでしたいですか。好きな女性のタイプは」「具体的には」と聞かれ、次のように語っている。

「結婚はあまり遅くならないほうがいいと考えています。30歳よりかは前にしたいです」「例えばテレビに出ている新珠三千代さんとか。最近の若い人はあまりよく知らないので……」

 兄の天皇陛下も、成年式を前にした記者会見で理想のタイプの女性について尋ねられ、記者から「今までよく竹下景子とか名前が出ていますけれど」と、重ねて聞かれると「そう、竹下景子なんかいいと思います(笑)」と話した。また、陛下は、「青春ってものはやはり、あらゆるものに挑戦し、自分の力を試す、自分の中のもの、外のものに限らずそういった力を試す時期であり、また、模索する時期じゃあないかなって考えるんです」などと熱く語っていて大変、興味深い。

 悠仁さまの成年式などは2025年3月、高校卒業後の適切な時期になる予定だ。おそらく、事前に佳子さまから、成年式に臨む心構えや記者会見の受け答えなど、親切に教えられるに違いない。

 成年を迎えた悠仁さまがどのような18歳の素顔を私たちに見せてくれるのか、大いに楽しみだ。

<文/江森敬治>

えもり・けいじ 1956年生まれ。1980年、毎日新聞社に入社。社会部宮内庁担当記者、編集委員などを経て退社後、現在はジャーナリスト。著書に『秋篠宮』(小学館)、『美智子さまの気品』(主婦と生活社)など