旅館の女将に転身
欽ドンの収録に参加するため、結局、気仙沼で事務員を続けつつ、週1回東京へ通う生活に。ダブルワークとはいえ、そのほとんどを気仙沼で過ごしていたから、「生活が激変するということはなかったし、芸能界に憧れるという感じでもなかったんだよね」とあっけらかんと笑う。
「だって、私は音痴で運動神経もない。なんで受かったのかわからないの。でも、『気仙沼ちゃんはそのままでいい』と言われたんですよ。番組スタッフさんは、私が普段の生活に戻った場合のことを考えて、バカに見えないように編集してくれたんだよね。音痴って短所なんだけど、その短所があったから私は選ばれたのかもしれない。短所も長所も引き出す人次第で変わるんだなぁって。ありがたかったですよね」
白幡さんは、「いろんな意味でさ、守られていたんだなと思う」と回想する。
「私たち7人は、ホテルに宿泊して収録が終われば地元に帰るという生活でした。変に勘違いさせないように配慮してくれていたんです。それに合格時に、欽ドンが終了したら、普通の生活に戻るのが、ある程度の条件だったんだよね。いい思い出です」
芸能界に向いているとは思わなかった白幡さんは番組卒業後、'80年に結婚。嫁いだ先が民宿だったため(現在は旅館に)、「気仙沼ちゃんの宿 アインスくりこ」の女将として新たなスタートを切った。
「姑さんが、“気仙沼ちゃんの宿”ってうたって、最初は重荷だったのね(苦笑)。お客さんから、『何かやって』なんて言われるけど、私はもともと特に何かができるわけじゃない。だから『そのまま』を心がけたんだよね。変に背伸びしてもよくないから、できることをきちんとやろうって」
欽ドンで教わった“気仙沼ちゃんらしさ”は、その後も生きている。欽ちゃんとの交流も定期的にあるそうだ。
「東日本大震災のとき、欽ちゃんからお茶やラップなど1000セットが送られてきたんです。気遣いの人だよね。今でも『欽ドンを見てた』という人が泊まりに来てくれるんです。私がそうだったように、等身大の気仙沼の魅力を届けられたらうれしいよね」
取材・文/我妻弘崇