渡さんと破局後も、親の期待に応えようと、スターとして仕事を続けた吉永だったが、すでに壊れかけていた。
「26歳のとき、吉永さんは極度の過労とストレスで声が出なくなってしまうのです。そこで支えとなったのが、長らく一緒に仕事をしていた15歳年上の岡田さんでした。最初は渡さんとの恋の相談をする相手だったのが、その優しさに触れて吉永さんが燃え上がった。離婚歴のあった岡田さんは及び腰だったようですが、吉永さんからの熱烈なアプローチを受けた末、ゴールインするのです」
当然、両親は猛反対。しかし、
「長い間お世話になりました……行ってまいります」
1973年の8月3日、そう告げて実家を出た吉永は、この日、結婚式を挙げる。両親は式に出席しなかった。
始まった“台本のない夫婦の物語”
結婚当時、吉永は雑誌インタビューで両親について問われ、こう語っている。
《二十五、六になるまで自分の意思を持たなかったし……。結局、自分の意思で、もっと人間ぽく生きたいとか、そういうことを思うようになって》
岡田さんと出会った吉永は“両親の人形”から“意思を持った人間”へと変わったという。ここから、“台本のない夫婦の物語”が始まった。
ある芸能プロ幹部は、当時の吉永について述懐する。
「1年間は仕事を休み、その間に料理や裁縫の教室に通って、さまざまな家事を学んだようです。岡田さんに“愛妻弁当”を持たせていたなんて話も耳にしました。女優に復帰されてからも、家庭をおざなりにしないよう、仕事の量については、かなり相談されていましたね。自分の時間とご主人との時間を一番に考えていらしたのでしょう」