過酷な仕事を課されていた吉永に、岡田さんはこう言葉をかけたと過去の雑誌インタビュー記事で明かしている。
《女優であるより、まず、僕の妻であってほしい。仕事は、家庭のことがきちんとできる程度のものがいいのでは》
吉永を少しでも休ませたい。そんな思いがあったという。吉永は、夫の思いに応じるように、変わっていった。
吉永の母親が書いた“恨み節”
その後も夫婦で仲よくラグビー観戦をする姿が目撃されるなど、ふたりは真っ白だったページに、共に物語を描いていった。しかし、それはふたりだけのもの。こんな様子を、吉永の知人が話す。
「テレビでは岡田さんのことを“主人”と呼びますが、私たちの前では“うちの岡田”って言うんです。ご主人のことをノロケることは、まったくない。ただ、ふたりのときは“太郎さん”なんでしょうけれど」
外では常に“吉永小百合”を演じていた彼女が「太郎さん」と呼ぶそのときだけ、愛する夫の伴侶である“岡田小百合”になっていた。幸せな夫婦生活を送る一方で、“吉永家”との確執は消えないままだった。
「吉永さんの母親が1976年に書籍を出版するのですが、その中に《私は今までに、本当に一人だけ殺したいと“殺意”を持ったことがある。その対象は岡田太郎という男で、私の次女の結婚相手である》と記されていたのです。吉永さんは、関係修復を図ろうとしていたようですが、この本の出版を機に再び疎遠になってしまうのです」(前出・芸能ライター、以下同)