目次
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ー 性の裏側を撮影して一躍、時の人に
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ー 最盛期の年収は5億円、経費は月に4000万円!
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ー 印象に残っている被写体は、ブレイク前後に撮影したあの女性

 主婦と生活社さんね。昔おたくで『殴ったろか!』(1992年)っていう本を出したの知ってる? 今日もそのころの編集者が来るかなって、そんなわけねえだろってな(笑)」

 そう豪快に笑うのは、フォトグラファー・加納典明さん。センセーショナルな写真家としての活動のみならず、小説、映画、タレント、DJ……などなどマルチに活躍してきた、生ける伝説だ。

 82歳になった今でもまさに“精力的”に活動を続け、昭和・平成・令和とすべての時代を泳ぎ続ける同氏に、あのころの伝説エピソードから近況までたっぷりと語っていただいた。

性の裏側を撮影して一躍、時の人に

 下積みを経て独立後、雑誌や広告のカメラマンとして活動を開始した加納さんの最初のブレイクは、1969年にさかのぼる。当時、ニューヨークで活動していた現代アーティスト・草間彌生氏のパフォーマンスアートを撮影したことがきっかけだ。

「ニューヨークに撮影に行ったとき、知人が草間さんを紹介してくれて“加納さんのためにうちのメンバーが集まります”って彼女のスタジオで。向こうは20人くらいいたのかな。

 何をするのかと思ったら、いわゆる大人のパーティーだったんだよ(笑)。彼女がペニスの造形やヌードを題材にしていたのは知っていたんだけど、こういうことをやるってのは知らなかった。なんだこりゃと思ったけど、どんどん撮りまくったね」

 同時期にニューヨークでは、ベトナム戦争用に開発されたという赤外線カラーフィルムが登場していた。

 帰国後に開催した写真展『FUCK』は、その新しいフィルムでの写真表現と、過激な題材によってセンセーションを巻き起こし、一躍時の人に。

「個展初日で、もう俺は有名になってたよ。第一、表舞台でそういうものを撮る人はいなかったから。性の世界の裏側を撮った人はそれまでにもいただろうけど、表には出てこなかった。俺はそれをインフラレッド(赤外線)で堂々と出しちゃったわけ」

 その個展をきっかけに『加納典明』の名前は人々の知るところとなる。

「映画に出てくれ、小説を書いてくれと、もう、あらゆる表現のオファーが来たね。俺も実際にやってみたらどうかという、自分自身の実験みたいなところもあった。

 当時は若さもあるし、こういう性格だから怖いものなしで。田原総一朗の最初の映画で、桃井かおり相手に演技をしたり、動物とふれあいたくてムツゴロウ動物王国に移住したりとかね」