意外な被災地訪問
困難にある人々に常に目を向けている両陛下だが、この時期の被災地訪問については「意外だった」と河西准教授は続ける。
「この1年間、雅子さまは積極的に公務などへお出ましになられました。笑顔もある一方で、時折お疲れを感じさせる場面もあったように思います。秋は行幸啓が続き、お忙しい日々を過ごされていましたから、立て続けに冬の被災地訪問をご決断されたことは、かなり意外でした。無理を押してでも、年内に再訪したかったのではないでしょうか」
実際に、雅子さまの誕生日に合わせて公表された医師団の見解によると、体調には依然として波があるという。それでも、両陛下が“年内に能登半島へ”と考えられたのには2つの理由があるようだ。
「両陛下は'25年1月、阪神・淡路大震災の30年追悼式典への出席のため、1泊2日で兵庫県を訪問されます。ですから、1月は新年の行事に加えて、その準備にも追われるでしょう。2月には陛下の誕生日が控えており、それに際して行われる会見や挨拶などで多忙な日々を過ごされます。したがって、12月を逃すと再訪計画はかなり先送りされてしまうのです」(前出・皇室ジャーナリスト、以下同)
もうひとつの理由には、長女である愛子さまも関係しているという。
「愛子さまも、ご両親と同様、能登半島での相次ぐ災害に心を痛めていて、9月には単独でお見舞いへ行かれる予定でした。しかし、訪問の直前に豪雨が発生し、現地の状況を慮って、訪問は取りやめとなったのです」
愛子さまは、計画が急きょ中止となったことを憂えておられるようで、
「“なるべく早くに再計画を”と考えておられるようですが、公務に加え、日本赤十字社での職務もあり、訪問のめどは立っていないようです。愛子さまはこれに、もどかしい思いを抱えておられるといいます。そんな愛子さまの思いを酌み、両陛下も、なるべく早くお見舞いをと考えられたのかもしれません」
さまざまな事情のもと計画された今回の被災地訪問だが、すべては国民の幸せを心から願われる両陛下のお気持ちがあってこそ実現したのだろう。