祖母と大切な友人のおかげ
嘘がつけない性格だからと、悩んだ末にSNSでがんを公表したことで、反響もあったという。
「同じようにがんと闘う方や応援してくださる方からたくさんメッセージをいただき、人の温かさや優しさ、愛情を感じました。励ましの声をいただくようになり、少し前向きになれたんですよ。ファンのみなさんとは芸能人というよりもっと近い存在で、ひとりの人間として向き合いたいですし、誰かの力になれたらとも思います」
そして初期の段階でがんが見つかったのは、祖母と大切な友人のおかげだと振り返る。
「母子家庭だったので、忙しく働く母に代わって、私の面倒を見てくれたのが祖母でした。実は私を芸能界に導いてくれたのも祖母なんですよ。そんな祖母が6年前の春に亡くなったのですが、入院していた病院へ向かう道には、桜がきれいに咲いていて。祖母を思うとその光景がよみがえり、もう一度桜を見たいと思っていたんです。そんなときに大切な友人から“一緒に日本を見て回ろうよ”と言われて、なんだか日本に呼ばれた気がして。
海外で懸命に過ごした20年。困難もたくさんあったけれど、失敗して転んでも、必ず立ち上がって前を向いてきた。だから私、逆境に強いんです。またがんになってしまったけれど、こうなったことにも意味があるんじゃないかと、今は思っています。祖母と大切な友人のおかげで初期の段階でわかったから、早く治療しちゃえばいいんだと。母とも、今は治療で治る時代だからねと言っているんですよ」
がんになったことで、意識も変わってきた。
「自分が死ぬなんて考えたこともなかったのに、人間の生と死について思いを馳せるようになりました。人として成長するためにメキシコへ行っていろんなことを学んだけれど、がんになり、さらに深く考えるようになって。海外と比べても日本の医療は一流ですし、先生たちも優しくて素晴らしい人ばかり。
日本に生まれてよかったなと思う瞬間が何度もあり、これからはもっと日本を知りたいと思っています。10月に44歳になったばかりで、今は人生の折り返し地点。これからどう過ごそうかと考えています」
12月25日に無事に退院。来年以降の計画も思い浮かべている。
「元気になって気持ちも落ち着いたら、1月くらいから芸能活動を再開したいですね。こう見えて内気な性格なので静かに暮らすのがいいんでしょうけど(笑)、祖母が導いてくれた道ですので。死を意識したことで、これからはより好きなことをして、生きたいと思いましたし、私にできることがあれば、精いっぱい頑張っていきたいです」
きらり●1980年生まれ、東京都出身。子役として芸能活動を開始し、1998年、フジテレビ系ドラマ『GTO』で人気を博す。その後もテレビ番組やCMなどに出演し、1999年にはkirari名義で歌手デビューを果たす。2000年に日本での活動を休止。以降は拠点を海外へと移し、台湾のエンターテインメント業界でも活躍。
取材・文/植田沙羅