「いつも強気に振る舞っていた宮田選手ですが、五輪の代表と主将にも選ばれて、かなりのプレッシャーがあったのだと思います。
代表辞退となり、しばらくは憔悴しきっていたよう。
復帰戦で人目もはばからずにあれほどの涙を流したのは、よほどこみ上げるものがあったからでしょう。今はもう、次の目標に向かって切り替えていると思います」(体操関係者、以下同)
涙の連続となった再出発。順天堂大学に通う彼女が福井県代表として出場したのには理由があった。
後輩を気にかける“姉御肌”
「福井県の鯖江高校出身である宮田選手は、卒業後も同校女子体操部の田野辺満監督から指導を受けており、福井にも練習拠点があります。
宮田選手は我が強い性格。その宮田選手が信頼しているところを見ると、手綱をうまく取れるのが田野辺監督くらいなのかもしれません」
こだわりの強いところがある一方で、後輩からは頼りにされる“お姉さん”でもあるという。
「宮田選手は後輩を気にかける“姉御肌”なところがあります。
パリ五輪前の合宿で、宮田選手は年下が多い団体メンバーにヘアピンをプレゼント。
パリ五輪では、団体メンバーの4人がユニフォームの色に合わせて予選では赤、決勝では青といった宮田選手からもらったヘアピンをつけて臨んでいました。
決勝の入場では、宮田選手が床の演技の最後にする決めポーズをしていました。それほど慕われていたのでしょう」
2028年のロサンゼルス五輪では笑顔の彼女が見たい。