「僕がプロデュースした整体院とマッサージ店は今、全国に9店舖あります。都内に2店、横浜と岐阜に3店ずつ、福岡に1店です」
撮影で訪れた東京・赤坂の『やさしんご整体院』もそのひとつ。店の前で撮影していると常連客の女性に声をかけられたり、飛び込み客が現れたりと人気を見せていた。
「店以外でもいまだに街で声をかけられますよ。この前なんて、おばあちゃんに“ラクしんごさん”って話しかけられました(笑い)。あと、宝くじ売り場のおばさんに“今日は帽子かぶってないの?”と言われて……。さかなクンと間違えられたみたい(笑い)」
彼が一躍スターダムに駆け上がったのは’10 年から’11 年にかけて。「ラブ注入」は’11年の『ユーキャン新語・流行語大賞』のトップテン入りを果たしている。だが本人は、そこまでブレイクするとは思っていなかったという。
「“ドドスコ~”は飲みの席でテキトーにやっていたギャグなんです。タンクトップが好きでよく着ていたんですけど、ワキ毛が見えないように手で隠していたら、あの振りになって(笑い)。ゆる~い感じで生まれたんです」
絶頂期の時間はほぼ仕事一色。バラエティー番組の収録に追われて、睡眠時間もほとんどなかったそう。
「トーク番組に呼ばれてひな壇にいるときは、何を聞かれるのかといつも心臓バクバクでした。ただ、いずれブームは終わるなとわかっていたので、全力で頑張りましたよ」
その予感は当たり、翌年の出演番組は激減。さらに’13 年7月に起こした元付き人男性への暴行事件の報道で、テレビ向けの仕事はゼロに。同時期にプロデュースした焼き肉店や整体院も閉店。’14 年1月に書類送検されると、芸能活動は完全
にストップした。
「昨年末は人生で一番つらいときでした。自殺説が流れて《死んでいません》とツイートしたり……。食事も喉を通らなくなって意味不明なことを言ったり、パニックでした」
それまで彼を持ち上げていた人たちも手のひらを返したように離れていったという。
「急に連絡がとれなくなった人がいっぱいいました。だけど、中には優しい人もいて。あべこうじさんや前の事務所で一緒だったビックスモールンのゴンさんがすごく心配してくれて。久本雅美さんも“今は大変だけど大丈夫だから頑張れよ”と電話をくれて、うれしかったですね。事件を通して本当に信頼できる人がわかったし、いろいろと勉強になりました」
事件は双方示談が成立し、円満に解決。今後はどう活動したいか聞くとこんな答えが。
「実は、温泉ソムリエの資格も持っているので、旅番組に出てお湯に浸かったりしたいですね。キレイになる知識もたくさんあるので“美容家”の一面を出していきたいな」
芸人としても、もうひと花咲かせたいといい、新ギャグを披露してくれた。
「“ラブ注入”はもう卒業! これからは“かまって~(3回繰り返す)てやんでい!”でいきます!! 前と変わらないとか言わないで(笑い)」