山口 そうそう。いいかげんだったよね。あのジャケ写も『欽ドン!』 のセットの前で撮った写真だし。曲が細野晴臣さんで、詞が松本隆さん。すごい人に書いてもらったね、と言われますけど、そのすごさを僕らがわからなかった(笑)。
「今思えば、自分のことしか見えてなかった」
長江 全然知らなかったから(笑)。あのとき、いちばん若い僕ひとりで、レコードを出したいという話が何社かから来たんですって。でも欽ちゃんが“絶対にダメ。でも3人でなら”ということでデビューが決まったみたい。
山口 レコーディングには細野さんも松本さんも来てくれてね。
西山 レコーディング自体が僕ら初めてだったけど“こんな感じなのか”という感想しかなかったな。
長江 僕はうれしかったし、楽しかった。だって歌手になりたかったんですから(笑)。今思えば、自分のことしか見えてなかったね。
西山 歌入れのとき、3人でブースに入っていたけど、山さんと2人、コーラスまで歌わないからガラスの向こうのミキサー室にいてもいいんじゃない、なんて思っていたね。だってヒマなんだもん。
山口 そうそうヒマだから、曲に合わせてキーボードを弾いているマネしたりしていたら、それが振り付けになったりして。
長江 僕は何テイクも歌っていましたけどね(笑)。
西山 あの歌前のクラッピング(拍手音)、デモテープには入ってなかったんですよ。当日、細野さんがちょっと入れてみようかとなって、僕と山さんがビンタをするふりをして遊んでいたら、それは面白いと振り付けになって。
山口 細野さんが当日いらしてなかったら、あの部分はなかった。振り返ってみると面白いよね。オリコンで年間4位のセールスを記録。しかし、長江が大学受験に専念する、という理由で番組から離脱。“初代”の良い子悪い子普通の子は1年半で顔が変わった。
長江 当時、僕ひとりでもできる、なんて気持ちがふつふつと出てきて……。でも、一回欽ちゃんから離れないとできないじゃないですか。だから、大学受験を理由に辞めたんですけど、大阪で番組が決まっていたんです。
西山 ドライかもしれないけど、僕たちは長江くんが辞めるというのを受け入れるしかなかったね。
山口 番組の中で、良い子悪い子普通の子を続けていくというレールに乗って、それをいかにうまくやるか、という気持ちのほうが強かったな。番組側に何の断りもなく大阪で芸能生活を開始したことで、長江と欽ちゃんの間は気まずくなった。しかし、長江が関係者に頭を下げたことで事態は好転。イモ欽トリオも、イベントなどで復活するようになった。
長江 今、山さんの古希記念のライブツアーで全国7か所を回っています。
山口 とはいえ、いつものライブと変わらないよね(笑)。
長江 歌に関してはリハをしますが、MCに関してはフリートーク。西山くんはネタを練って決め事が好きですけど。
西山 はいはい(笑)。
山口 昔、聴いた曲だし、来てみたら意外に面白い、くらいのゆるいライブです。僕たちにもみなさんに“ついてこい!”なんてパワーはもうありませんし。
西山 身体のどこが悪い、という話ばかりだもんね(笑)。
山口 気合を入れて来られても僕らも身体がしんどいし(笑)。地方に行くきっかけ程度の理由にして、ライブに来ていただければ。そのくらいがちょうどいいです。
取材・文/蒔田 稔
『山口良一古希記念LIVE』ツアー 問い合わせは長江健次ファンクラブ nagaekenjifanclub@gmail.comまで