20141021_高橋大輔
 岡山で引退記者会見を開いた高橋大輔。倉敷市で生まれた彼にとって、人生の区切りとなる発表をこの地で行うことが大切だった。

「高橋といえばニコライ・モロゾフコーチとの師弟関係が有名ですが、スケートを始めたルーツは地元にあるんです。小学校2年生のときに市内のフィギュアスケート教室に通い始めました。お母さんが勤めていた理容室がもうひとつの実家のようになっていて、そこのお姉さんに連れられてリンクに通うように。中学生になると兵庫県で教えていた長光歌子コーチに出会い、自宅に下宿して猛練習を行うようになりました」(前出・スポーツ紙記者)

 会見では、「この街で生まれなければ、フィギュアに出会っていなかったかもしれない」とまで話していた。母・清登さんは、今も地元の理容室で働いている。高橋は会見翌日に、『理容タムラ』を訪れていた。

「お昼すぎに店に顔を出してくれたんです。すぐ帰るつもりだったみたいですけど、みんなが押しかけちゃったものだから、結局夕方までいましたよ。オリンピック以降帰ってきてなかったから、懐かしかったのかもしれません」

 と話すのは、オーナーの田村光江さん。引退の相談は、母親にも光江さんにもなかったという。本人から伝えられたのは、会見の前夜だった。

「清登さんは、“足のケガも年齢的なこともあるから、早く引退してくれれば”って普段から漏らしてましたね。だから、引退すると聞いて、内心ホッとしてるんじゃないかな。“これでいろんな心配をしなくていい”って言ってましたから」(光江さん)

 久しぶりの帰省だったが、くつろぐ暇もなく、ある場所へ出かけていったという。

「私の主人がお世話になっていたデイサービスの施設に行って、慰問ということでお年寄りの方たちと触れ合ってくれたんです。“今までありがとうございました”ってひとりひとりに頭を下げるものだから、みんなすごく喜んでねぇ。涙を流しながら“冥土の土産になった”なんて言ってくれたみたいですよ(笑い)」(光江さん)

 地元への恩返しになることは、彼にとっても大きな喜びなのだ。