ミセス世代のカリスマモデルだった雅子さんが1月29日、多臓器不全のため亡くなった。
「“早く帰りな”“また明日”これが最後の会話でした」
‘13 年に10万人に1~2人という希少がん、サルコーマが見つかり、闘病の末だった。品川区の斎場で行われた葬儀で、喪主を務めた夫の大介さんが先の言葉で偲び、こう振り返る。
「結婚して8年4か月でした。ぼくにとっては空気のような水のような、いてくれないと困る存在。大きな手術をして、治ったと思ったんですが具合が悪くなって再発が発覚。そのときも“絶対治るし、絶対治す”とふたりで言っていて、投薬や放射線治療だけでなく、生ジュースやビーガン料理を作ったりとか、とにかく手を尽くしました」
1度も弱音を吐かず、病と向き合い続けたという雅子さんだが、50歳という早すぎる別れになってしまった。19歳でモデルを始め、『クロワッサン』(マガジンハウス)などの雑誌で活躍。女優として映画『リング』シリーズにも出演したり、幅広く活動していた。
「近所のお姉さんのような気さくさと気遣い、ライフスタイル全部含め“こういう大人になりたい”と感じる方。年をとることが励みになるような存在で、大人の代名詞であるシャツとパールが似合う、センスのいい“本物”って感じのモデルでした」(ファッション誌関係者)
棺にはお気に入りのシャツとスカート、麦わら帽子が納められており、雅子さんの母親と友人、大介さんでワイワイ話しながら決めたという。
「病気でやせてからはアクセサリーをつけるのも重くてつらくなったんです。そこで友人が紙でパールのネックレスを作って贈ってくれて、“これだったら重くないの。きれいでしょ”って喜んでつけていました。彼女は今日もそんな装いです」(大介さん)
巷で人気の“コットンパール”。雅子さんは最後までオシャレだった。葬儀にはモデルの前田典子や女優のとよた真帆、TBSアナウンサーの高野貴裕と星野真里夫妻など、500人が参列し、告別式ではアンミカなど150人が見送った。
‘05 年に雅子さんが出演した映画『サヨナラCOLOR』を監督した竹中直人は「あまりにも早すぎる」と涙を流し、林真理子は「雑誌の『anan』のつながりで仲よくなって妹のような存在でした。一緒に旅行にも行ったりしていたのでとても悲しいです」と本誌に痛切な思いを。
遺影にはモデル生活30年を記念し、昨年7月に出版した『雅子スタイル』(宝島社)の表紙が使われている。
「芯のある努力家で、プロ意識が非常に高くて感服しました。長丁場の撮影や、たびたびの打ち合わせ、どんなときも快く誠意ある対応をしてくださいました。中でもファッションのページではスタイリストを使わず、すべてご自身のスタイリングで大変だったと思いますが、雅子さんの下準備が完璧だったので、順調に撮影できました。飾り立てすぎずシンプルに、ありのままの自分らしさを表現することを望まれていました」(本の関係者)
本の出版は病気が発覚する前に決まっており、「私の初めての本」と喜んでいたそう。