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 1月20日、肝内胆管がんのため54歳という若さでこの世を去った柔道選手の斉藤仁さん。現全日本柔道連盟副会長の山下泰裕氏のライバルでもあり、数々の名勝負を繰り広げた。

「“稽古、行け”。それが息子さんたちにかけた最後の言葉だったようです」(スポーツ紙記者)

 1983年の世界選手権では無差別級で優勝。1984年ロサンゼルス、1988年ソウルとオリンピックでは95キロ超級で連覇を達成。柔道では初のオリンピック連覇であった。ソウルではほかの階級がすべて敗れる中、最終日に登場して金メダルを獲得した姿が鮮明に残っている。

 現役引退後は指導者としても活躍。母校である国士舘大学で柔道部の監督を務め、’04 年アテネ大会で男子監督となると、鈴木桂冶と’08 年の北京大会では石井慧を金メダリストに育てるなど後輩の育成にも力を注いだ。

 ‘12 年からは全日本柔道連盟の強化委員長となり、’16 年のリオデジャネイロ、‘20 年の東京五輪を目指していたのだったが、病魔に打ち勝つことはできなかった。

 斉藤さんが柔道を始めたきっかけはテレビドラマ『柔道一直線』(TBS系)で、オリンピックを意識したのはテレビアニメ『ミュンヘンへの道』(TBS系)だったという。

「そのときに父親に、死ぬまで柔道をやるからと言って、柔道着を買ってもらったそうです」(柔道関係者)

 異常なやせ方をして、心配した人も多かったようだが、

「本人は、大丈夫です、胃潰瘍だから、と言って心配をかけないようにしていました」(前出・スポーツ紙記者)

 昨年の12月に容体が急変したときも「インフルエンザ」で通していた。

「入院してからも柔道のことばかり。うわごとでも話していたと聞きました」(前出・スポーツ紙記者)

 亡くなる前日、奥さんが病床の斉藤さんに、お子さんの柔道の稽古を休ませるかどうか尋ねると、冒頭のように声をかけたという。