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 4月7日、東京・文京区の護国寺で営まれた山岸一雄さんの通夜にはタレントや常連客など600人もの人が参列し、翌日の告別式には衆議院議員の小池百合子も弔問に訪れた。

 東池袋の裏通り。商店街でもないひっそりとしたその場所に、大行列ができるラーメン店があった。ラーメン好きなら1度は足を運び、ラーメン好きでなくともその店名は聞いたことがあるのではないだろうか。

 『大勝軒』がオープンしたのは1961年。オープン当初から行列ができるほどの人気となり、マスコミにもたびたび取り上げられ、芸能人やスポーツ選手にもこの店のファンは多かった。

 店を一躍有名にしたのは、客からマスターと呼ばれた店主の山岸さんが考案した看板メニューでもある『特製もりそば』。元祖つけ麺といわれる『特製もりそば』は、山岸さんが修業時代にまかない料理として常日ごろ食していた湯飲み茶碗にしょうゆとスープを入れ売れ残った麺を浸して食べていたものだという。

 その後、スープに改良を重ねて製品化にこぎつけた。常連客に試食してもらったら反応がよく、メニューに加えられると瞬く間に評判になった。

 店が営業する日はオープン前から行列ができるほどの人気店となった『大勝軒』だったが、’05 年には山岸さんの病気が悪化して厨房に立てなくなり、’07 年には東池袋付近の再開発のため閉店を余儀なくされた。

 しかし、ファンの強い要望もあって、’08 年に創業店のあった場所から100m離れた所に『東池袋大勝軒本店』として復活した。

 山岸さんに指名されて、2代目店主となった飯野敏彦さんに話を聞くと、

「初めてマスターの作った『特製もりそば』に箸をつけたとき、自分の人生はこれだと思いました。最初に会ったときに、普通の店主じゃないと思いました。ラーメンに対するまっすぐな姿勢と情熱がひしひしと感じられました」

 飯野さんは実家がもともと食堂で、その跡を継ぐために料理の修業をしており、最後にラーメンの修業をしようと『大勝軒』を訪れたという。当初は客として店に通い始めていたが、山岸さんの人柄にも惹かれていき、弟子になりたいと申し出た。

 しかし山岸さんは首を縦には振らず、その後も店に通った飯野さんに許しが出たのは1年後だった。温厚な性格で知られていた山岸さんだったが、

「調理場の中では厳しかったですね。店が午前11時にオープンするんですが、その直前にマスターがスープの味の調整をして1日が始まります。マスターが調理場に立ったときの緊張感というのは、今でも忘れられません」