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 とうとう決着がついた大塚家具の“父娘バトル”。過去を見てみると、あの企業でも似たような解任劇があったり、芸能界でも親子の確執が取りざたされたりと、お家騒動は珍しいことではない。

 同じ業界で働いているからこそ、対立の根は深い。香川照之と父の市川猿之助(現猿翁)も長い間関係が断絶していた。

「香川さんが2歳のときに猿之助さんが浜木綿子と離婚し、藤間紫さんと同棲を始めました。香川さんはデビューして2年後に父に会いに行くも、猿之助さんは“今の僕とあなたは何の関わりもない。あなたは息子ではありません”と言い放ちました」(ワイドショーレポーター)

 香川はいつか自分の存在を認めさせたいという一心で、役者道に精進する。父子が和解できたのは、’11 年のことだ。

「香川さんの長男・正明くんが市川團子を襲名し、香川さん自身も中車を名乗ることに。彼は脳梗塞に倒れた猿之助さんと同居することになります。親子の仲を取り持ったのは、生前の藤間さんでした。“もういいんじゃない?”と言われて猿之助さんは涙したとか」(前出・レポーター)

 歌舞伎役者では、この2月に亡くなった坂東三津五郎さんにも息子との因縁があった。

「三津五郎さんは’83 年に寿ひずるさんと結婚して3人の子どもを授かりますが、近藤サトとの不倫で離婚。当時、小学生だった巳之助さんは反発し、高校を中退して歌舞伎からも離れてしまいます。心配した母のひずるさんは“梨園に戻りなさい”と諭しました。巳之助さんは改めて父の芸に接し、歌舞伎役者として生きる覚悟を決めました」(前出・レポーター)

 確執は消え、巳之助は告別式で「心から父を尊敬します。父の芸はひとつの究極の形だったと思います」と話した。

 ‘13 年4月に亡くなった三國連太郎さんは、息子の佐藤浩市と関係を修復するのに長い時間がかかった。4回の結婚をした彼の3番目の妻との子が佐藤である。佐藤が小学6年生のときに離婚して以降、ふたりは会っていなかった。

「佐藤さんが大学生になって俳優になると伝えたら“親子の縁を切りましょう。いっさい君の芝居は見ないし、何も言わない”と突き放されたそうです」(前出・レポーター)

 佐藤の結婚や’96 年の映画『美味しんぼ』での共演を経て、ようやく距離が縮まった。

 三國さんが亡くなったとき、“どんなお父さんだったか”と問われて、こう返している。

「僕と彼との間に介在したのは役者という言葉だけ。一般論的な親子ではない。そりゃ、ひどい父だった」

 ただの親子以上の、壮絶な絆で結ばれていたのだ。