■個人が世に問うものそれが真の芸術
現代音楽のホープである新垣さんの作った曲は、佐村河内氏の名前で発表され続け、好評を博します。そして、演奏のチェックができない彼が新垣さんを現場に連れていく言い訳に、「自分は耳が悪いから、助手がチェックをする」と言い出したことから、“全聾”という設定が生まれます。
「彼はある意味、天才なんです。大きな仕事を取ってきたり、周りにとてつもない設定を信じさせたりというのは、常人にはとてもできないことです。憧れることはないけど、すごいなとはいまだに思います」
かの偉大なモーツァルトやベートーヴェンの時代から、音楽家たちはスポンサーに依頼をされて作曲し、報酬を得ています。新垣さんも最初は「依頼が来たからいいものを納品しよう」という感覚で始めた仕事でしたが、大きすぎる虚構が自分を飲み込んでいく状況に、危機感を感じ始めます。
「個人が世の中に問うものが芸術です。でも、その個人の表現を、実は他人が作っていましたというのはやっぱりおかしい。2008年にオーケストラで自分の曲が演奏された節目に、“いつか真実が暴かれる日が来る”と強く思いました。また同時に、彼自身がメディアに露出することで虚構がにじみ出て、わかる人にはわかると確信しました」
この思いが去年の記者会見につながるのです。事実を明らかにしたときは、音楽の仕事がなくなるかもしれないという恐れと、これ以上何も隠さなくてもいいという安堵が交差しました。
「あの会見から1年以上がたち、幸いこうして再スタートを切れている自分がいます。しかし、完全に状況が落ち着いていたとも思っていないですし、慰留してくれた大学に、戻る気もありません。ただ、自分は音楽づけの人生を送ってきて、ほかのことではまったく役に立つことのできない人間です。これからも作曲し、演奏をし続けます」
本を書いたのは、事件の経緯を知りたい人に読んでもらい、考えてもらうため。そして自分のやったことは間違いだった、でも自分がやれることは音楽しかない、それだけは揺るがないということを伝えるため。
「現在、バラエティー番組によく呼ばれますが、まったく慣れません。でも、テレビで私を見たことをきっかけに、コンサートにいらしてくださる方がいるのは、本当にうれしいです」
音楽の話となると、とたんに情熱的になる新垣さん。暴露本だと思って手に取ったはずが、いつの間にかその音楽に対する真摯な姿に心打たれる著作の読後感と、全く同じ印象のインタビューでした。
■取材後記「著者の素顔」
取材時、「音楽はどのジャンルもつまみ食い。クラシックも好きな曲はあっても、知識がないんです」と言ったら、新垣さんは「まずはそのままでいいですよ」とニッコリ。「クラシックは歴史や時間の厚みがあるぶん、敷居を高く感じますが、それでも聴くきっかけは自由。楽しさを知るのが一番」とのこと! ちなみに今、新垣さんがやりたいお仕事は、音楽紹介のラジオ番組だそう。音楽に縁のない大人や子どもに、聴く楽しさの入り口を示してほしいです。
(取材・文/中尾巴)
〈著者プロフィール〉
にいがき・たかし 1970年生まれ。桐朋学園大学音楽学部卒。現代音楽のホープとして活躍し、ピアニストとしての評価も高い。2014年2月、人気作曲家・佐村河内守氏のゴーストライターだったことを公表し、話題を呼ぶ。最近はバラエティー、音楽番組を中心としてテレビやラジオにも頻繁に出演している。CDに『N/Y』(吉田隆一とのデュオ)、『ロンド』(礒絵里子とのデュオ)がある。