8月29日に東京・有楽町で開かれた『第32回全国高校生の手話によるスピーチコンテスト』の開会式で、注目を一身に浴びていた秋篠宮家の次女・佳子さま。
「当初は報道各社での取材が可能でしたが、希望社が殺到したので、直前になって代表取材となり、あらためて“佳子さまフィーバー”を目の当たりにしました」(宮内庁担当記者)
当日は秋篠宮妃紀子さま(48)が開会のお言葉を手話で述べられたが、終演後の関係者との懇談では、佳子さまも簡単な手話を披露されたという。今年2月に手話狂言を鑑賞されたときなどにも勉強中の手話を披露した佳子さまだが、お母さまからの手ほどきもあり、かなり上達されているのだろう。
「この夏休みに、佳子さまは公務や儀式の準備にお忙しく、手話も集中的に勉強されたようです」
そう話してくれたのは、秋篠宮家関係者。
今春、国際基督教大学(ICU)に入学し、学習院大学時代に続いて2回目の大学1年生の夏休みを過ごされた佳子さま。
「佳子さまは、ICUの大学1年生の多くが参加する通称“シープロ”と呼ばれる海外語学留学を断念。入部が噂されたダンスサークルにも参加されていないという話もあり、非常にストイックな夏休みを送られていた印象があります」(同・関係者)
7月25日には、静岡県で開かれた『全日本高等学校馬術競技大会』で初めての「おことば」をご披露。
同27日からは、2泊3日で秋篠宮さま(49)と滋賀県の『全国高等学校総合文化祭』に出席し、戦後70年ということで戦争関連の行事にも出られるなど多忙を極めた。
さらに、ご両親も多忙で、姉・眞子さま(23)が英国へ留学中のなか、弟・悠仁さまのお世話もたいへんだったはずの佳子さまの「プライベート旅行」を『週刊女性』はキャッチした。折しも、天皇・皇后両陛下は長野県軽井沢や群馬県草津で、皇太子ご一家は栃木県那須で夏の静養をとられていたころ─。
「秋篠宮ご一家は8月25日から28日にかけて、長野県南牧村の野辺山にお忍びで静養に出かけられました」(同前)
野辺山といえば、八ヶ岳の山麓で山梨県と接する標高1300メートルほどの涼しい高原で、両陛下とも縁のある地域だ。
「両陛下は、’05年8月に紀宮さま(現・黒田清子さん)と旧知の農家を訪れ、栽培が盛んなレタスの収穫をされています。そもそも野辺山は戦後、台湾からの引揚者を中心とした開拓地で、陛下は皇太子時代の1964年と、1984年にもご訪問。美智子さまと秋篠宮さま、紀宮さまも、その年に同行されています。天皇ご一家ぐるみで、心を寄せられている土地だといってもいいと思います」(前出・記者)
2年前の8月にも、秋篠宮ご一家は野辺山で静養されていて、佳子さまにとってもなじみの場所となっている。
5月にICUの新入生合宿(リトリート)で訪れた山梨県清里にも近く、3か月ぶりの八ヶ岳山麓でのご滞在となった。
そんな高原でのご一家の様子を伝えるのは、ある地元関係者。
「8月27日の朝から悠仁さまは、黄緑の蛍光色のウエアを着て現地の獅子岩という登山口から、飯盛山のハイキングコースをニコニコ元気よく登られていました。お付きの人が網を持っていたので、虫捕りも楽しまれていたのだと思います。その後、山の反対側に下りて、秋篠宮さまや紀子さまと昼食をとられていたようですが、佳子さまはお見かけしませんでしたね」
昼食後、訪れた野辺山高原で収穫された野菜を販売する国道沿いの青果店では、こんな目撃談も。
「白い帽子を目深にかぶった紀子さまが、小さい財布を持った悠仁さまと一緒に野菜や果物を選んでいたのには驚きました。紀子さまはブドウを“箱買い”していましたが、周囲に気づいている人はいませんでしたね」(居合わせた客)
その後さらに、野辺山周辺の歴史を紹介する『南牧村美術民俗資料館』をご訪問。買い物のときにはいなかった秋篠宮さまも途中から合流されたが、佳子さまの姿はやはり確認できなかったという。
前日の26日は、あいにくの天気だったため、お出ましを控えていたお三方の活発なご様子が目立つ日だったが、佳子さまは霧深い宿泊先に籠もりっぱなしだったようだ。