■持たない者は他人を傷つけてもいいのか
瑠璃子の前向きな行動の原動力が“自分が寂しいことにも気づかなかった、本当に寂しい女性の恋”ならば、航平のすべての源は“金銭格差”です。彼が瑠璃子を陥れることになったのは、腹違いの兄の借金が原因ですが、その当の兄は“恵まれない境遇に生まれた自分たちが、恵まれた者から多少の金を巻き上げることは当然の権利なのだ”という価値観の持ち主。罪の意識でときに立ち止まる航平も、結局はその論理で自分を納得させてしまいます。
「底辺の生活に生きる人々は、僕の主流テーマであり、得意分野でもあります。僕自身、小説家デビューして会社を辞め、『呪怨』のノベライズのヒットで売れるまでの7年間は、相当お金に苦労しました。工場の派遣アルバイトに行き、リアルに航平のような日常を送る人を見てきたんですね。
小説の中では“日陰に種が落ちて生えた草と、日なたの草は違う”という書き方をしていますが、富や幸せは残酷なことに配分が不公平。日陰の草が這い上がるのは、並大抵の努力ではありません」
しかし、航平の本来の職場であるガソリンスタンドのオーナーのように、働き者で人のことを慮れる人材がいると、日陰の世界にも希望が見えます。
「航平に仕事を教え、自動車整備士になるようにすすめるオーナー、実はモデルがいるんです。自宅近所のガソリンスタンドの経営者なんですが、やっぱりすごく働く方で、とても尊敬しています。こういう人の存在に救われる人々は少なくないと思います」
はたして、ふたりの関係は航平らのもくろみどおりに進んでいくのか……。ふたりの運命の歯車は絡み合い、大きなどんでん返しが読者を襲います。そして衝撃のラストシーン!
「僕はよく“絶望的ハッピーエンドを書く”と言われます。たとえるなら、嵐の夜に笑いながら出ていくふたり、という感じ(笑い)。今回のラストシーンは、読者に想像の余地を残しました。そういえばちょうど昨日、“強くなった瑠璃子の決断に、ある種の爽快感を覚えました”という感想をいただきましたよ」
読み始めたらもう止まらない、平凡な女と弱い男の波瀾万丈の物語。瑠璃子の決断が気になるアナタ、秋の夜長の読書にどうぞ!
■取材後記「著者の素顔」
「瑠璃子にはモデルがいます。僕の通っている歯科医院の歯科衛生士さんで、彼女がわが家に遊びに来たときに聞いた話は、とても参考になりました」
大石さんは元広告営業マンだけに、とても聞き上手。話が弾んだであろうことがうかがえます。
「いちばん話す女性は、やっぱり妻。本書のアイデアも、彼女が学生時代にアルバイトをしていたホテルで起こった、結婚詐欺事件がベースです」
日常会話をエンターテイメントに変える、錬金術師のような大石さんでした。
(取材・文/中尾 巴 撮影/斎藤周造)
〈著者プロフィール〉
おおいし・けい 1961年生まれ。法政大学文学部卒。1993年『履き忘れたもう片方の靴』で第30回文藝賞佳作を受賞しデビュー。2003年映画『呪怨』のノベライズを手がけ、ベストセラーとなる。自身の作品の映画化も多く『湘南人肉医(映画名:『最後の晩餐』)』『甘い鞭』『1303号室』などがある。作品の幅はホラーから官能まで幅広く、かつ多作。女性ファンも多い。