うまいものを食べ歩いた思い出――銀座にはボクの思い出がたくさん詰まっている。銀座の街を車窓から眺めているだけで、走馬灯のように、昔がよみがえる。
今日はそんな銀座にちょっと用があった。広島、呉の三宅水産「がんす娘。」に会いにいくのだった。TAUにがんす娘。が「うまいでがんす」を売りにきたのだ。
TAUとは、広島のアンテナショップで立ち上げのとき、広島県の仕事でボクもかかわっていた。志なかばで病に倒れて、最後まで見届けられなかったTAUのオープニング。だからどんな店が実際入っているのか品揃えは十分か……途中で子育てを放棄した父親が、こっそり別れた子供を覗きに行くような気持ちでもある。
がんすは魚のすり身をパン粉でまぶして揚げたようなものである。ハムカツの魚版のような水産加工品だ。これがうまい。チープな装丁が、なおさらいい味を出している。「うまいでがんす」は三宅水産のイチオシの商品である。がんす娘。は一生懸命、がんすを売っていた。他にもTAUには広島の懐かしい味がたくさん並んでいた。
新幹線の広島駅や広島空港のお土産売り場のように、カープのお菓子やグッズも売っている。オタフクソースに、アンデルセンの瀬戸田レモンケーキ。ボクが想像していた雰囲気とはちょっと違ったが、狭い店内が大勢で賑わっているのを見て、ボクは安心する。
何となく、広島に帰ったような気持ちになった。
店内の狭い通路は、広島の路地をうろついているような気持ちになり。客が行列しているレジはお好み焼のみっちゃんに行列している、広島の街の年末の風物詩のように見える。やっとたどり着いた広島への旅のように、そんな気持ちでTAUを巡った。
広島の街は、何となく銀座に似ている。渋谷でも新宿でもなく、銀座に似ている。だから、ボクは銀座が好きだったのかもしれない。
広島の年末に心を馳せる。せわしなく歩く人々が目に浮かぶ。数寄屋橋の交差点が、紙屋町の交差点とダブって見える。
故郷というのは、いくつになっても暖かなぬくもりを感じさせてくれる。なかなか帰れない故郷を思うと、甘酸っぱく胸がきゅんとなる。
年末になると猛烈に故郷が懐かしくなるのはどうしてなんでだろうか? そんなことを思ってボクはTAUをあとにした。
一歩外に出れば銀座の空気が、ボクを東京に引き戻してくれる。もう東京暮らしのほうが、故郷で暮らしている時間よりも長いのだ。
いいかげん東京の人間になれてもおかしくないのに、やっぱり自分は広島の人間だ、と思ってしまう。
〈筆者プロフィール〉
神足裕司(こうたり・ゆうじ) ●1957年8月10日、広島県広島市生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。学生時代からライター活動を始め、1984年、渡辺和博との共著『金魂巻(キンコンカン)』がベストセラーに。コラムニストとして『恨ミシュラン』(週刊朝日)や『これは事件だ!』(週刊SPA!)などの人気連載を抱えながらテレビ、ラジオ、CM、映画など幅広い分野で活躍。2011年9月、重度くも膜下出血に倒れ、奇跡的に一命をとりとめる。現在、リハビリを続けながら執筆活動を再開。復帰後の著書に『一度、死んでみましたが』(集英社)、『父と息子の大闘病日記』(息子・祐太郎さんとの共著/扶桑社)、『生きていく食事 神足裕司は甘いで目覚めた』(妻・明子さんとの共著/主婦の友社)がある。Twitterアカウントは@kohtari