かつては栄華を極めた『貴乃花部屋』が6月末に、国技館からほど近い江東区東砂へ移転することになった。
「親方もおかみさんもいらっしゃいませんでしたし、どなたも引っ越しの挨拶には見えていませんよ」(近隣住民)
貴乃花部屋は、現親方の父親である初代貴ノ花(後の十二代藤島親方、十一代二子山親方)が'82年に中野新橋に建てたもので(当時は藤島部屋)、34年の歴史を誇る。'90年代にはブームに。
「貴乃花(現親方)と若乃花(現花田虎上)の兄弟横綱が誕生して“若貴ブーム”が巻き起こりました。あのころが部屋の全盛期と言えるでしょうね」(スポーツ紙記者)
その後、'04年に貴乃花が部屋を継承して部屋の名前も『貴乃花部屋』に変更された。
6月中旬に東砂の新部屋への引っ越しはすべて完了しているというのだが、旧部屋を訪れてみると、まだ看板が寂しく残されたままだった。
「先代のころは多少のお付き合いはありましたが、今の親方になってからは顔を合わせることも話をすることもありませんでした。おかみさんもめったに見ませんでしたよ」(近隣住民)
“相撲部屋”といえば地域密着のイメージが強いが、なぜこんな話が出るのか。
「貴乃花部屋ができた当時、親方は品川区にある自宅から中野新橋まで通っていたんです。いわゆる“通い親方”でした。でも、それでは力士がちゃんと育たないと後援会筋に言われて、'05年におかみさんの景子さんとお子さんたちを自宅に残し、親方だけ部屋に住み込むことになったんです」(前出・スポーツ紙記者)
景子夫人が“おかみさん業”をすることはなく、地域との関係も薄れて、同時に部屋も衰退していったのだった。
「住んでいるといってもあまり見かけない。自宅に帰っている時間のほうが多かったのでは。せっかく相撲部屋が近くにあるんだから、もっと触れ合いたかった」(別の近隣住民)
一方、新天地となる東砂の人たちにも話を聞いてみると、歓迎ムード一色だ。
「以前、ここには田子ノ浦部屋があったし、町が活気づいていいと思う。夏場所が終わったら歓迎の意味を込めて、横断幕を作ろうと考えています」(商店会会長)
こちらにはすでに景子夫人も挨拶に訪れているそうだ。
「すごくきれいで、感じのいい人でした。私は応援しますよ」(商店会の会長夫人)
新部屋には親方の自宅が併設され家族全員が引っ越してくるという話もあるという。