1日約4万人にのぼる食のプロたちが厳しい目を光らせ、食材の売り買いを行う築地市場。ここは古きよき時代の伝統を引き継ぎながら、約80年間、日本の食文化の一大拠点であり続けた。しかし、今年11月の豊洲移転に伴い、間もなく閉鎖されることになる。
そこで築地市場長を務める森本博行さんに築地市場トリビアを教えてもらった。
■河岸の男衆より強い巡視さん
河岸の男はパワフルなガテン系。そんな男たちが6000人前後も働く築地市場の治安はどのように保たれてきたのだろうか? その答えも“戦争”にあった。
「戦後すぐの1950年ぐらい、復員してきた軍人を築地の巡視として採用していました。ガタイがよくて強そうな人、特攻あがりの屈強の男などは優先的に採用したといいます。そんなルーツから、市場の巡視さん(守衛さん)は東京都の職員でした。現在は委託のガードマンが中心ですが、“巡視ににらまれたら終わり”と恐れられていました」
■水爆実験で犠牲に……被ばくマグロの気になる行方
築地には第五福竜丸が持ち帰った被ばくマグロが埋められた。森本さんによると、それ以外にも200~700隻ものマグロ船が被ばくし、複数の被ばくマグロが日本に運び込まれたという。
「1954年、アメリカがビキニ環礁で水爆実験を行い、日本のマグロ漁船が被ばくしました。築地市場の地下3メートルに埋められたという情報をもとに掘り返したけど、マグロはなかった。何者かが売って実際に食べてしまった人もいることが、後の追跡調査で判明しました」
さらに恐ろしい話は続く。
「同じようなマグロが、都内の別のとある場所にも埋められ、そこを掘ったところ大量に水銀が出てきましたが放射能反応はなかったという話もありました」
■昭和40年代までパンク修理で自転車店が大繁盛!?
市場では“実用車”という荷物の運搬用自転車が活躍する。自転車店は昭和40年代まで儲かってしょうがなかったそう。
「ターレも発泡スチロールもない時代、魚は木箱に入れて自転車で運んでいました。自転車で木箱をガタガタ運んでいると釘がゆるむ。ゆるめば釘が取れ、落ちた釘を踏んで自転車がパンクするので自転車屋さんが儲かった」
その後、ターレが導入され、釘を踏んでパンクすることのないように、タイヤもチューブのない“全ゴムタイヤ”を採用。自転車店のパンク修理がビジネスとして成立しなくなった。
■東京五輪をきっかけに日本の冷蔵・冷凍が進展
現在、日本には昭和40年代にできた冷蔵庫がたくさんあり、約50年たって老朽化が進み、ほとんどが入れ替え時期となっている。その背景にはコールドチェーン勧告がある。
「東京オリンピック後の日本人は、外国人選手の体格のよさにガク然としていました。それはいいものを食べているからに違いないと考え、食肉の普及を推進しました。そこで、肉食が発達した欧米を見習い、食肉にしたあとで長い間保管できる技術を開発しようという動きが生まれ、冷蔵・冷凍技術が発達しました。
科学技術庁も“日本も世界に負けないように、学校給食に冷蔵・冷凍の食品を多用するべきだ”と勧告しました」
築地市場でもその流れを受け、1980年代に発泡スチロールが増え始めていった。