肉眼は閉じたが、心眼は開いたまま

 阿波根さんと謝花さんとの事業で後世まで残るのは、わびあいの里に設置した『ヌチドゥタカラ(命こそ宝)の家 反戦平和資料館』だ。伊江島各地で集めた戦争時の弾丸、薬きょう、ヘルメット、衣服、原爆模擬弾などが所狭しと展示され、年に約1万人が訪れる。

 私が訪れた'96年、95歳の阿波根さんは目がほとんど見えず、体力の衰えから1日のほとんどを寝て過ごしていた。だが、会いたいという人がいれば、アポなしの1人の旅行者にでさえ起き上がり、衣服を正し、背筋を伸ばし、住民の闘い、平和の大切さを1時間以上かけて話した。訪問客が帰ると、また横になった。

 やがて耳も不自由になると謝花さんは不安を覚えた。「身体が不自由になることで、それまで抑えていた弾圧への感情が爆発して、荒れる晩年になるのでは」と。

 だが、そうはならなかった。阿波根さんは失明しても「肉眼は閉じたが、心眼は開いたままだから」と謝花さんを慰め'02年、謝花さんに手を握られたまま静かにその一生を終えた。

「大変な一生でありました。人生のつらさと深さは、いかばかりなものであったか」

 謝花さんは、その死後3年くらいは気持ちが晴れなかった。だが、ある日、心で阿波根さんの声を聞く。

「いつまで黙っているのか。戦争屋が喜ぶだけだよ」

 そうだ。いくら悲しんでも生き返ってこない。また前に行こう。今もわびあいの里には毎日、来訪者があるが、謝花さんはかつての阿波根さんのように「年中無休で」対応している。

命ある限り続く戦争させない闘い

 わびあいの里が力を入れるのは平和学習だ。

 乞食行進の時代とはうって変わり、伊江島では今、米軍に土地を貸すために日本政府と土地契約をする地主が多い。だから島民こそがヌチドゥタカラの家を訪れない。ところが今年、初めて島の小学校が5~6年生の生徒を引率してきた。

「資料館を知っていました?」「米軍演習をどう思います?」との質問に、子どもたちは率直に「知らなかった」「米軍は島を守らないよ」と答えるなど、その素直さに「子どもは素晴らしい」と謝花さんは感銘した。

「阿波根は生前、言っていました。子どもは丸い容器に入れれば丸くなる。子どもが生まれる環境に私たちはいる。その環境の1人として大人は子育てに責任がある、と」

 8月18日と19日の2日間、わびあいの里では伊江島の子どもたちを相手に“平和道場”を行う予定だ。伊江島での戦中と戦後の歴史、土地の大切さ、平和の尊さを子どもと話し合う。

 徐々に右傾化が進む日本社会に、謝花さんは警鐘を鳴らす。

「安倍総理は“テロで罪のない人たちを殺すのは許せない”と言いながら、大量殺人の戦争をしようとしています。戦争とは何でしょうか。それは、子孫まで殺す段取りのことです。私は命ある限り闘い続けます」