「正統派は光GENJI、少年隊といっぱいいますから、同じことをやってもしょうがないかなというのは本人たちの中にあると思います。木村(拓哉)がよく言っているのは、ドラマをやってるのは木村A。
でも『夢モリ』に出てるときは木村B。で、歌っているときは木村Cだと。多面性があることがタレントとしてこれからすごく必要なんじゃないかと」
見立てはゆっくりと、しかし見事に的中する。デビュー曲『Can't Stop!! –LOVING–』はオリコンチャート2位にとどまり、その後泣かず飛ばずの状態が続いたが、『Hey Hey おおきに毎度あり』で初の1位を獲得すると一気に追い風が吹き始める。その裏で懸命にメンバーの乗る船の舵を取り牽引してきたのが中居だった。テレビ局関係者が語る。
「当時はコンサートの構成も中居クンが中心になって考えていました。“6人が対等な関係で作っていくのが大事”と。たまに心の探り合いがあって、メンバー同士で遠慮してしまうこともある。
そういうときに自分が出て行って“じゃあ、こういうふうにしようぜ”と仕切るんだけど、“すごく勇気がいる。メンバーの気持ちを遮って、プライドを傷つけるんじゃないかと思うから”と言ってましたね」
デビュー時、まだ20歳の中居がグループをまとめていこうと苦慮していたことが伝わってくる。そんな彼も18、19歳ごろまでは自我が強く「俺が、俺が」と、何でもいちばんになりたいと思っていた。
《歌はソロをとりたい。踊りは真ん中で踊りたい。芝居はおいしい役じゃなきゃ嫌だ。笑いは自分がいちばんとりたい。自分がいちばん人気者でありたいって。6人でひとつなんて、考えてなかった》(JUNON'95年4月号)