プライベートでは今でも時間があれば地元の神奈川県藤沢市の幼なじみたちと飲みに行き、メガネのスタイリストや専属ヘアメイクをはじめとする6、7人の“チーム中居”の面々とは兄弟のように固い絆で結ばれている。多忙なスケジュールの中でも長年変わることなく仲間を愛し、慕われてきたことがよくわかる。
SMAPが今までのアイドルにない新しさを打ち立てたという意味で、中居の司会業進出も見逃せない。
「彼が17、18歳のころ当時の自分の年齢でほかの人がやってないことをやりたいと思っていたそうなんです。そこで目をつけたのが司会。
もともと校則が嫌いで縛られるのがイヤ。ハッタリのきかない一発勝負の緊張感が大好きという彼には向いていたんだと思います。ただ、“司会って考えていたほど簡単なジャンルじゃなかった”とも漏らしていました」(テレビ局関係者)
'97年には、史上最年少の25歳にして『第48回NHK紅白歌合戦』で初の白組司会に抜擢。また翌日の『新春かくし芸大会』では2年連続で総合司会、年末年始のテレビを独占する形となった。なぜ大役が集中したのか?
「声をかけたら笑顔で応えてくれそうな、ひと昔前の若者みたいな人懐っこい魅力があったんですよ。ロスジェネ世代の中ではああいうキャラクターが必要とされたんでしょうね」(一般紙社会部記者)
「ちょうどそのころですよね。中居さんの一人称が“俺”とか“おいら”から“僕”に変わったんです。それまで街のアンちゃんだったのが、急に気圧されるような迫力が出て驚きましたね」(女性誌記者)
若い世代の『紅白』離れを食い止めるためなどとも言われ、当初はあまり実力を高く評価されてはいなかった。だが、中居はそこにしっかりと焦点を絞っていた。
《10代の頃ってさ、歌って踊ってドラマに出て、カッコいい自分を見せたい時期なんです(笑)。でも僕は人を笑わせたり、カッコ悪い部分をさらけ出したりする、そっちのほうがカッコいいんじゃないかって思ってたから》(JUNON'98年4月号)
ドラマもラブストーリー全盛で、それをやればある程度の視聴率を見込めることが予想できた。しかし、中居はあえて『味いちもんめ』『ナニワ金融道』(フジ系)など男くさいドラマに主演した。司会業も多くの経験を重ね、『うたばん』(TBS系)は約14年間続く人気番組となる。
「『うたばん』のときはゲストを迎える立場だから、どれだけその人を引き出せるかってこともそうだけど、何よりも楽しんで帰っていってほしいと言ってました」(テレビ誌ライター)
嵐の大野智との“下克上コント”は最たるものだった。