楽なほうより苦しいほうを選ぶ生き方

 “若いときの苦労は買ってでも”と先人は言うが、“自信のない”青年だった知事が、防衛大、自衛官、さらには政治家を志す環境に身を投じられたのは、なぜ?

「次から次といろんなことをやって不安でしたが、大事なのは思い切って飛び込むことではないでしょうか。そういうときに大切にしているのは、ドキドキ感。楽なほうより、苦労したほうがよくなると思えたら、そちらを選ぶ生き方をずっとしてきました。悩みますけど、ピョンと一歩を踏み出しちゃう。でも、失敗したこともいっぱいありますよ(笑)」

 大人になり、例えば、子育てに自信がない、あるいは、自信の持てない子どもを抱える親たちもいる。

「自分の子どもは立派になってほしい、健康でいてほしい、出世してほしい、などと思うのは、親として当然のことだと思います。でも、親の理想と子どもがやろうとしていることが、だんだんと乖離してくる。そういうときに、親として不安が生じると思います。私は2人の娘がいて、思春期を迎えて反抗期のときに、自分の思ったとおりにならないのが、ショックでした。でも、それからは子どもが一人前になるための過渡期という女房のアドバイスもあって、娘の思いを尊重するようにしました。子どもの声にも耳を傾けるように努力したわけです。結果、子どもは反抗期を乗り越え、立派に成長してくれたと思います」

 本のタイトルにある数字は、44年間の人生の蓄積を持って、45歳のときに知事選に出馬したことからつけた。

 宮城県議会議員選挙に最初に出馬したときに“議員は、交通違反のもみ消しをして当然”と言い放った後援者に、支援金を全額返却した“政治と金”のエピソードも。

 当時は、妻と幼い娘2人の4人家族、月17万円で生活していた。

「落ちるかもしれない選挙に出るというのは、本当に大変でした。女房はよく我慢してくれました。

 私の母は自衛隊を辞めるときも大反対でした。安定した職業で、家族がいて、パイロットにもなった。何で、政治家をやるのか。反対というより、いちばん心配していました。落選したら、どうやって食べていくのか、と。2人の子どもを、どう養うのかと言われました。そのときは、何の根拠もなかったけど“なんとかなる”と言いました(笑)。運が強いのかなぁ……。みなさんにも“運と愛嬌だけで生きている村井です”と言っていますから(笑)」