「月に数回来ていただきました。よくアボカドを買っていたので、“今日もアボカドですか?”と聞くと、平さんは笑いながら“いやいや、今日は違うものだよ”と笑っていたことも」(店員)
たまには焼き鳥を買うこともあり、店員に“ひとりだから数が少なくてごめんね”と言っていたという。よく通っていたのは、駅前にあるかまぼこ専門店。
「去年のオープン初日から通っていただいています。お昼ごろに来られることが多く、買うのは決まって“かまぼこ”と“きびなご”。亡くなる前の週の水曜日は珍しく閉店間際にいらっしゃって、しばらく月9の話をしました。大きな声をあげて笑っていたのを覚えています」(店員)
自宅の近くにあるバーにもちょくちょく顔を出し、ギムレットやワインを飲んでいたという。
「1時間ほど飲んだら帰る感じでした。夕食の後、寝る前にカクテルを飲みたかったのでしょう。息子さんとマネージャーさんを連れてこられたこともあります」(店主)
行きつけの蕎麦店もあった。平さんはいつも自転車に乗ってさっそうと現れた。
「ダンディーで、とても80代には見えませんでした。銀色の靴をはいていたりしておしゃれでしたよ。白ワインを飲みながらおひたしや煮物などを召し上がっていました。野菜がお好きでしたね。冷たいお蕎麦で締めるのが決まりでした」
平さんは、80歳を迎えた'13年に行われた雑誌のインタビューで、仕事と日常生活についてこう語っていた。
《毎日の暮らしを一生懸命することで、“今日もいきているぞ”と実感するんです。おいしくご飯を食べて、少しお酒を飲み、夜は台詞を覚えて、毎日仕事ができる。そういう人生の第一ステージをいつまでも続けていきたいです。
僕の中に引退という言葉はありません。人生の第二ステージはないと思っています。第一のステージをずっと続けて、舞台の上でパタッと死ぬことができたら幸せですね》
言葉どおり人生という大舞台を演じきり、満足して旅立っていったに違いない。