「勇気をもって訴えないと何も変わりません」
自己責任にされがちな過労死だが、「過労による交通事故死」は、さらに理解されにくい。
'14年4月24日。東京都の渡辺航太さんは空間デザイン会社『グリーンディスプレイ』(以下、グリーン社)で徹夜の22時間勤務をしたあと、原付バイクでの帰宅途上で電柱に衝突し死亡した。享年24。ブレーキあとがないことで居眠り運転とみられている。
航太さんは、事故前の5日間に限っても1日平均12時間働き、事故前1か月間の残業時間は約87時間に達していた。
航太さんは働きながら6年をかけて夜間大学を卒業した苦労人だ。就職活動も慎重だった。きちんとした生活を保証する正社員の身分にこだわった。加えて、女手ひとつで航太さんを育てた母の淳子さんとも話し合い決めたのは、「夜勤がないこと」「自動車通勤禁止の会社を選ぶこと」だった。夜勤後の自動車運転こそ事故の可能性が高いからだ。
はたして、航太さんが決めたのは、ハローワークの求人票に残業の記載がなく「マイカー通勤不可」「試用期間なし」と明記されたグリーン社だった。'13年10月に入社。植物を使ってホテルやデパートなどの空間演出を手がける仕事は、航太さんの性に合っていた。だが、求人票とは違い試用期間としての扱い。さらに夜勤もあった。最初の1か月で残業は110時間以上に達し、その後130時間超の月もあった。過労死レベルで働いていたのだ。
深夜まで残業をしては、帰りの交通機関がない。航太さんは原付バイクでの帰宅を余儀なくされていた。
「つまり、求人票は嘘でした。本当のことを書いてくれれば航太は入社しませんでした」(淳子さん)
それでも航太さんが辞めなかったのは、正社員の保証がない再就活の厳しさ、学生時代の奨学金の返済が滞る恐れ、当面の生活費の工面などを考えたからだ。
せめて疲れた身体を休める場所は会社になかったのか? あるにはある。だが、仮眠室を使えるのは女性だけ。眠さをこらえての帰宅だったと淳子さんは思いを馳せる。
'14年3月16日。航太さんは会社から口頭で正社員採用を告げられ喜ぶ。だが労働環境はそのままで、事故はその翌月に起きた。
'15年4月24日。淳子さんは、息子の死は、長時間労働を招いた安全配慮義務違反が原因だとして、会社に約1億円の損害賠償を求める裁判を起こす。
その提訴前、航太さんの友人にこう尋ねられた。
「おばさん、裁判で航太が生き返ると思っている?」
「うん」
「大変になるよ。批判に耐えられる?」
淳子さんはうなずいた。
「過労交通事故死で闘うのは、ほとんど例がない。でも、介護や医療や工事の現場でも、同じように亡くなっても訴えられない遺族がいると思うんです。提訴するのは、航太のような若者が同じ目に遭ってほしくないから。勇気をもって訴えないと何も変わりません」
グリーン社は、訴状に対し「事故の前数日間の労働時間は長くなく、過労ではない」と反論し、両者の主張は平行線だ(次回公判は12月8日10時15分、横浜地裁川崎支部で)。
淳子さんは、息子が長期旅行に出ている感覚で日々を送っているため、自宅に仏壇はない。だからこそのつらさがうかがえる。
前出の中原さんはこう強調する。
「大人の多くは“過労死なんて自分には無関係”と思っている。でも過労死はある日、突然やってきます。過労死ゼロの社会を目指す。それが私の使命です」
これ以上の犠牲者を出してはならない。
*「過労死等防止啓発月間」の今月、厚労省が主催し家族会も協力してのシンポジウムが全国29会場で開催。詳しくはhttps://www.p-unique.co.jp/karoushiboushisympo/
◎取材・文/樫田秀樹
ジャーナリスト。'59年、北海道生まれ。'88年より執筆活動を開始。国内外の社会問題についての取材を精力的に続けている。近著に『悪夢の超特急 リニア中央新幹線』(旬報社)