留年したら5回走れる?
規定によると、選手は4回までしかエントリーできない。補欠や予選会の出場も含まれる。つまり、留年した選手でも、まだ4回エントリーされていなければ走ることができるのだ。
ごぼう抜き記録は?
駅伝の醍醐味“ごぼう抜き”。下位で襷(たすき)を受け取った選手が、前を行くチームの選手を軽々と抜き去っていくさまは、見る者を釘づけに。ごぼう抜きの歴代最多はギタウ・ダニエルさん(日大)。第85回大会('09年)の2区で、22位で襷を受け取り、なんと2位まで押し上げた。
東大も出場したことが!
スポーツはあまり……というイメージの東京大。しかし過去に1度だけ、予選会を勝ち抜いて、第60回大会('84年)に出場している。結果は全20校のうち、17位。東大に後れをとったある大学の監督は、「学力では文句なしに負けるんだから、せめて走りでは勝ってくれよ!」と叱咤激励したとか。
ちなみに、今回の予選会で個人成績58位だった近藤秀一選手(2年)が、関東学生連合のメンバーに選抜されている。来春から東大工学部で化学生命工学を専攻するという頭脳派ランナーにも注目だ。
コースを間違えた!
第87回大会('11年)。11位で襷を受け取った、國學院大のアンカー・寺田夏生さんは猛追。日体大、青学大、城西大と激しいシード権争いを繰り広げる。4校のうち、シード権が取れないのは、わずか1校。ゴールまで残り200m。寺田さんは勝負をしかけ、スパート!
ところが直進すべきコースを、中継車につられて右折してしまう。大あわてでコースに戻り、死に物狂いでラストスパート。城西大を抜き返してゴール。その差はわずか3秒。悲願のシード権をなんとか手に入れた。
まさかの替え玉
箱根駅伝ができて6回目の大正14年(1925年)。当時は20km走れる選手を10人集めるのは大変なことで、どの大学も苦労していた。そんななか、日大の3区を走ったのは学生ではなく、なんと人力車夫!
バイト代を払って走らせたものの、前の選手を抜き去る際、車夫独特の「あらよっと!」のかけ声を上げたため発覚した。これが有名な『人力車夫事件』。今ではまず考えられない替え玉事件だ。日大は責任を取り、翌年の大会参加を辞退した。