脳科学者・茂木健一郎氏が自身のTwitterにて、日本のお笑い芸人たちに言及。「日本のお笑い芸人たちは、上下関係や空気を読んだ笑いに終始し、権力者に批評の目を向けた笑いは皆無」(2月25日Twitterより一部抜粋)、「日本の『お笑い芸人』のメジャーだとか、大物とか言われている人たちは、国際水準のコメディアンとはかけ離れているし、本当に『終わっている』。」(3月1日Twitterより)と、厳しい眼差しを向けた。これに対しフィフィは、日本のお笑い芸人たちが、そうしたお笑いしかできないわけでは決してないのだと指摘する。
お笑いはその土地の文化を反映するもの
まず、お笑いには、良くも悪くもその土地が培ってきた文化や風習といったものが反映されていると思うんですね。
たとえば、日本語には敬語というものがあります。そしてその敬語がもたらす、ちょっとした言葉のニュアンスの違いを用いて、言葉遊びをすることができますよね。笑いをとることができるわけです。
一方、たとえばアメリカのお笑いといえば、スタンドアップコメディが有名ですが、そこでは黒人のコメディアンたちが、自虐ネタで笑いをとることがあります。
あくまで一例ですが、このようにお笑いには、その土地ごとの人間の距離感だったり、風土といったものが少なからず反映されていると思うんです。
つまり、日本らしいお笑いのスタイルというものがあるのならば、たとえそれが“上下関係や空気を読んだ笑い”だとしても、それは文化を反映した結果にすぎないんじゃないかなと思うんです。
テレビは大衆受けが求められる
“権力者に批評の目を向けた笑い”が、日本のお笑い芸人さんたちにはあまり見受けられないということですが、そもそも日本では、テレビで政治的な発言をすることは、支持政党を表明することになってしまうので、どうしても避ける傾向にありますよね。
なぜなら、テレビは幅広い年齢層、考え方を持った人たちが見ているため、スポンサー側は、視聴者層を狭めるような発言、ピンポイントに対象を絞ったような発言を好まない傾向にあるからです。
だから芸人さんたちも、テレビでは大衆受けを狙った笑いをやるわけです。
だけど、たとえば大衆受けを狙わなくていい劇場などでは、テレビではやらないような政治的なネタ、過激なネタをやっていたりしますよ。